P「神はサイコロを振らない」【前編】
家に着いた俺たちは、まったりと時間を過ごす。今日も1日ハードだったな、お疲れ様。
春香「プロデューサーさん! お風呂湧きましたよ」
P「ああ、ありがとう。先に入ってくるよ」
春香「行ってらっしゃーい。ふふっ」
P「な、なんだ?」
春香「何でもないですよーっだ」
明らかに何かある顔をしている。隠し通そうとしているんだろうけど、思いっきり顔に出ているぞ。まぁ偶には乗っかってやるか。何を考えているかは知らないが(まぁ碌なことじゃないだろうな、うん)、それ以上何も言わずに、風呂場に入る。8月も終わりで、ちょっぴり涼しくなってきたが、それでも汗はかく。クールビズでも暑いものは暑い、だからこんな風にシャワーを浴びて、熱い風呂に入るのは至高にして他に代えがたい空間だ。
P「ふぅ……」
普通の湯船につかっているだけだが、1日の疲れが流されていく。
P「ババンババンバンバンババンババンバンバン」
今の若い子は知らないんだよな、ドリフ。たったそれだけでジェネレーションギャップを感じてしまう。かく言う俺も、全盛期をリアルで見て来たわけじゃないけど。それでも大爆笑は見てたっけか。
P「ババンババンバンバンババンババンバンバン」
春香「アビバノンノン」
P「ババンババンバンバンババンババンバンバン」
春香「ハーアアビバノンノン」
P「良いっ湯っだな」
春香「アハハン」
P「良い湯っだな」
春香「アハハン」
P「湯気が天井から……」
春香「ポタリと背中に、ですよ?」
P「な、な、な……」
春香「何で知ってるかって? おじいちゃんと良く見てましたから!」
P「なんでいるんだよおおおおおお!!」
春香「何でって、お風呂に入りに来たんですよ。問題ありますか?」
P「大ありだよ! 今俺入ってるだろうが!」
春香「プロデューサーさんってお風呂は1人で入る派ですか? 淋しいですね、折角彼女がいるんだし、ほら! 裸の付き合いもなかなか趣があって……」
P「そういう問題じゃないって! な、なんで裸なんだよ! 目のやり場に困るって!!」
急いで両目を、指の間から見えないように手で覆う。しかし、見てしまった強烈な映像は脳内にこびりついてしまった。今、春香は裸だ。18歳の瑞々しい体、程よい大きさの胸、スベスベの足……。その全てを俺は見てしまったんだ。
P「お、お願いだからタオルか何か巻いてくれ!」
春香「えー。恋人同士なんだし、気にしなくてもいいのに」
P「なるの! りゅんりゅんしちゃうの!」
春香「え?べ、別に気にしませんよ! 仕方ないことですし……。それに、私でなったって少しうれしいかも…・・」
P「あああああああ!!! 巻いてくれ! さもなきゃ俺は俺でいられなくなる!!」
春香「わ、分かりましたよ……。はぁ、別に暴走してくれてもよかったのに」
P「き、危険な戦いだった……」
ビジョンだけでなく、春香の言葉の誘惑に打ち勝った俺は、1人気を落ち着かせるために湯船につかっていた。悩ましすぎる18歳、春香はと言うと、残念そうな顔をしてタオルを巻いてはいってきた。彼女としては、背中流し合いっこやら一緒に湯船に入るやら、恋人同士の戯れをしたかったようだが、鋼の精神力で何とか押し切った。それも不満そうだったから、後で何らかの埋め合わせをしておこう。
P「まさか本物の裸を見ることになるとは……」
世の男性諸君なら、願ったりかなったりだろうけど、立場上そうもいかない。恋人である前に、俺達はプロデューサーとアイドル、恋愛なんてタブーなんだから。春香からしたら、恋人の方が先に来そうだが、俺からしたら譲れない所だ。例え週刊誌にばれる心配がなくとも。
P「これから耐えなきゃいけないんだよな、これを……」
30過ぎて、悶々と夜を過ごすことになるなんて思ってもなかったな。実際のところは、女性経験がないわけじゃない。それでも、初心なのは間違いないだろうな。水着とかはまだいい、こっちも仕事と割り切っていれるから。でも生まれたままの姿となると話は別だ。なんというか、刺激が強すぎる。
P「熱膨張しちゃったよ……」
どうやら俺に安住の地はないみたいだ。
春香「むー」
P「怒るなって春香。な?」
春香「プロデューサーさんの、ヘタレ」
P「ヘタレで結構だ!!」
春香「どーせ私は見る価値もない普通な女の子ですー」
風呂から上がった俺を、パジャマ姿の春香が迎える。折角一緒に風呂に入ったのに、俺が何もしなかったのが不満なんだろう、ほっぺたをリスみたいに膨らまして拗ねている。
P「はぁ、どうしたら赦してくれるんだ?」
春香「そんなの、自分で考えてください! 私に聞いてどうするんですか?」
P「困ったな……」
春香は一度起こると結構引きずるタイプだからなぁ。そういう時は……。
P「良し分かった」
春香「何がです? ジュース奢るとかそんなのじゃ春香さんは許してなんかあげませんからね!」
P「一緒に寝るか」
春香「そんなので納得いく……、プロデューサーさん、今何と仰われましたでしょうか?」
P「敬語が無茶苦茶だぞ。一緒に寝るかって言ったんだ」
春香「……性的な意味で?」
P「普通に寝るだけだこの発情期!」
春香「あだっ!」
予想通りの返しに、デコピンで返す。
春香「痛いですよ、もう」
P「これでも、春香ちゃんは許してくれないのか?」
春香「クッ……」
千早みたいに悔しがると、春香は観念したような顔をする。
春香「やっぱりプロデューサーさんには勝てないですね」
P「当たり前だ。そうアイドルに負けるほどやわじゃないっての」
春香「仕方ないですね。プロデューサーさんが寂しそうだし、隣で寝てあげますよ」
P「別に淋しくないから、無理にとは言わないぞ? 嫌々っぽいし、俺はソファーで……」
春香「寝ましょう! 一緒に寝ましょう!!」
こういうところは単純で扱いやすいな、こいつ。俺としても、断られたら少しショックだったな。高速を逆走するぐらいにはショックを受けるだろう。
とまぁ、順調に春香の機嫌を取っていたんだが……。俺は馬鹿だった。一緒に寝るということが、何を意味するかと言うことに。
春香「プ、プロデューサーさん……。近いですよね……」
P「そ、そうだな……。これ1人用のベッドだしな……」
初夜を迎えるカップル見たくぎこちない2人。それもそのはず、望んだものの、いざベッドに入ると思いのほか密着してしまい、風呂場以上に春香を近くに感じてしまうから。裸じゃないのが救いだろうか? いや、そんなことはなかった。
P「は、春香? そ、その……当たってるんですが……」
春香「あ、当てちぇるんです!」
P「ね、寝れるのか、これ……」
春香「お、おやすみなさい!」
P「ああ、お休み……」
気恥ずかしくなり、眠りに逃げる。しかしだ、すぐ隣には魅力的な女の子が無防備に寝ているんだ。寝ようにも眠れるわけがない。向こうだってきっと……。
春香「すぅ……、すぅ……。ドジリンピックってなんですか……」
P「ね、寝るの早!!」
春香は可愛らしい寝息を立て、気持ちよさそうに寝ていた。邪魔するのが野暮なぐらい、まるで御伽話の眠り姫のように。
春香「やったぁ、金メダルだ……」
P「なんの夢を見ているんだ、一体? オリンピック?」
春香「そ、そんな……。銀メダルに降格なんて」
P「何が起きた!?」
寝言だけは、意味不明だが。
春香「すぅ……、プロデューサーさん……、むにゃ」
P「夢の中にも出てるんだな、俺」
春香「そこはダメでしゅ……」
P「何してるの俺!?」
寝言に反応したら、相手は死ぬなんて科学根拠もない都市伝説があるが、ここまで面白い寝言をされるとついつい反応してしまう。寝言を言う春香と、それに突っ込む俺。誰も見ていない、ボケに至っては無意識なコントは、俺が眠くなるまで続くのだった。
8月22日、期限まであと5日。
朝目が覚めてふと思う。もしの話、俺が春香と結婚するとしてだ。戸籍ってどうなってるんだろうか? 法律上で一度死んだ人間だ、いわば戸籍がない。それは、法律上結婚が不可能と言うことではないか? そもそも春香は消えてしまうのに……。
P「って寝起きから何を考えているんだ俺は」
いつも朝起きた時は霞がかったかのようにボーっとしているが、今日は妙に頭が冴えている。少なくとも、朝から戸籍なんて話題が出るぐらいには。恐らく、その原因は……。
春香「おはようございます!」
俺の隣で寝ていた彼女だろう。存在を意識すると、ドギマギしてしまって寝てもすぐ目が覚めてしまう。おかげで頭すっきりだ。
P「ああ、おはよう」
春香「すみませんね、すぐに寝ちゃって。本当はプロデューサーさんと色々お話ししたかったんですけど……」
P「いいよ、疲れてたんだろうしな」
あれだけハードなレッスンをこなしてるんだ。そして、2日後には生っすか!? 24時間スペシャルと言う大仕事が待っている。こういう時はしっかり休んで、疲れを十分癒して欲しい。
P・春香『いただきまーす』
春香の愛妻? 料理を頬張りながら、俺はテレビをつける。テレビはやはりと言うか、1040航空の話題で持ちきりだった。いくらキャスターが懇切丁寧に説明しても、俺達当事者や遺族以外の人間からしたら、ファンタジーの世界だろうに。
P「なぁ春香」
春香「なんでふか? プロデューサーさん」
二人仲良くパジャマのまま歯を磨く。さっき気付いたが、いつの間にか俺のコップにピンク色の新品歯ブラシが置かれていたみたいだ。もちろん、桃色を好む人間は我が家に1人しかいないが。
P「いやさ、シンデレラガールズに会ってみたいって言ってただろ?」
春香「シンデレラ……。えっと、プロデューサーさんが今プロデュースしている子たちですよね」
P「中には春香より年上、いや二十歳過ぎもいるんだが、彼女たちの刺激にもなるかと思って、明日のレッスンと生っすか!? に彼女たちも出そうと思うんだ」
春香「それは楽しみですね! どんな子たちなんだろ? 皆可愛いんだろうなぁ。再確認しますけど、浮気してませんね?」
P「してません! っとそれよりそろそろ時間だ、行かないと」
春香「あっ、ホントだ! プロデューサーさんの車で行くんですよね」
P「ああ、マイカー通勤だしな。歯を磨いたら着替えていくぞ。今日もレッスンなんだし」
春香「でも午前だけなんですよね? どうしてですか?」
P「お前、親御さんと過ごせてないからな。俺の家か千早の家に泊まってるんだし、昼から明日まで家族水入らずの時間を過ごしてこい。もっと時間が取れればよかったんだがな……」
春香「大丈夫ですよ! それだけあれば、お父さんもお母さんも喜びます。それに」
P「それに?」
春香「長い間いたら、家族が恋しくなって消えちゃうのが怖くなりますから。……きっとこれで良いんです」
寂しそうに言う春香。でもな、春香。もっとさびしがっている人だっているんだぞ?
P「いや、ダメだ」
春香「え?」
P「俺はご両親にお前を託された。最後にいて欲しいと思ったのは18年間育ててきた親じゃなくて、どこの馬の骨か分からないような男だって。でもな、あの人たちは俺たち以上に辛く寂しい思いをしてきたんだ。実の娘が死んだのと同じなんだ、きっと俺が思っているよりも悲しい思いをしてきただろう」
春香「……」
P「だから、きちんと謝ってこい。寄り道してごめんなさいって、育ててくれてありがとうって。10年分甘えてこい。それがあの人たちの願いだと思う」
春香「そうですね……。私、見ないようにしていました。悲しくなるだけだ、だからせめてアイドルのみんなと、プロデューサーさんと一緒に最後を過ごそうって」
春香「でも、ちゃんと向き合わなきゃダメですよね。私を誰よりも愛してくれた両親と。それが別れであっても……」
家族の思い出が春香の中でリフレインしているのかな、目から大粒の雫がポロポロとこぼれる。俺はそっとハンカチでそれを拭く。
P「春香」
春香「なんですか?」
P「俺達は最後まで諦めない、そうだろ? きっと貴音が救ってくれるさ。だから、今際の別れなんかじゃない。そう、次もあるんだ。次は……、そうだな。8月29日、その日真の誕生日だけど、春香の両親に会おうかな」
春香「それって……」
P「あー、あれだよあれ。お付き合いさせてもらっている者です、ってね。流石に結婚のあいさつはまだ早いかな……」
春香「プロデューサーさん」
P「ん?」
春香「約束、ですからね」
P「ああ、約束だ」
見る人すべてを魅了する100%の笑顔を俺に向ける。約束、か。俺に何が出来るか分からないけど、それでも今を全力でプロデュースすることはできる。ライブに向けて前向きに頑張るアイドル達を、遺族のため粉骨砕身働く涼君達を、運命を変えようとひとり戦い続ける貴音を。俺は最高のパフォーマンスが出来るように、持てるもの全てを尽くそう。
春香「あれ、しませんか?」
P「あれ?」
すっかり泣き止み、メイクを終わらせた春香はおもむろにそんなことを言う。あれ……。何を指すんだ?
春香「あれですよ、あれ! 指切りげんまん!」
P「指切りか……」
子供のころ、約束をするときに良くしたっけ。針を千本飲ますのか、ハリセンボンを飲ますのかどっちなんだと無駄に悩んだこともあったっけ。
春香「あはは、なんか子供みたいですね」
P「何を言うんだ。俺は常に童心を忘れちゃいないぜ? それに、春香だって子供だろ?」
春香「もう18歳ですって!」
P「俺からしたらまだまだ子供だっての。じゃあ行くか」
P・春香『指切りゲンマン嘘吐いたらハリセンボン飲ーます』
P・春香『指切った!』
約束は果たさないとな。今のうちにご両親が好きなもの聞いておくか。
春香とともにレッスン場に着いたとき、形態が光ってるのに気づく。どうやら着信があったようだ。履歴を見ると、涼君の番号が。
P「悪い春香。先行っててくれ」
春香「はーい」
春香を先に行かせ、俺は涼君に電話を返す。
涼『はい、秋月です。えっと、プロデューサーさんですか?』
P「ああ、連絡があったから返したけど、どうしたんだい?」
涼『少しこちらに動きがありまして。今大丈夫ですか?』
P「ああ、大丈夫だよ」
涼『ありがとうございます。えっと、要件なんですが……』
涼『高槻さんのお父様の有力な情報を得ることが出来ました』
P「それは本当か!?」
涼『わっ!』
P「ゴメン、大声を出し過ぎた」
涼『いえ、愛ちゃんで慣れてますから……』
嫌な慣れだな、それ。しかし驚くのも無理がないと思う。数年前行方不明になったやよい父の情報が、ここになって入って来たんだ。なんとか、タイムリミットまで間に合うんじゃないか?
P「涼君、やよいのお父様の居所は……」
涼『すみません、そこまでは分かりませんでした。ですが、遠くにはいないと思います』
P「そうなのか?」
涼『ええ、高槻氏ですが……』
P「? 何か言いにくいことでもあるの?」
涼君の息遣いが電話越しに伝わる。意を決したように深く息を吐くと、涼君は信じがたい事実を告げるのだった。
涼『これはやよいさんの耳に入れるべきか悩んでいるところなんですが、高槻氏は……、ホームレスのようです』
P「へ?」
今、何って言った? ホームレス?
涼『件の本の印税をギャンブルに使ってしまい、離婚したと聞いていましたが、そこから彼は実家に戻らなかったようです。やよいさんのお爺さんもお婆さんも、高槻氏の消息は知らないと言っておられましたし』
P「じゃ、じゃあなんでホームレスって分かるんだ!?」
涼『半年前のことですが、○○公園でやよいさんの曲が流れることがあったそうです。結構な音量で流してたみたいで、住民と争うこともあったと聞いています』
P「その人が、やよい父だってこと?」
涼『ええ、恐らく。住民の方に顔写真も見せましたが、写真の人物と一致したとのことです』
P「じゃ、じゃあその公園にまだいるんじゃ!?」
涼『いいえ、現在は撤去命令が出て、多くの方が近隣の駅に移動されたそうです。もっとも、高槻氏もそちらに移動したと限りません。居所が分からないというのは、そういうことです』
P「そうか、分かった。今すぐ駅に行こう」
涼『そうですね。ですが、まずは公園に向かいましょう。もしかしたら、まだ居られるかもしれません』
P「やよいには伝えた方が……、良いのか?」
涼『生存を確認できれば、と思いますが……』
確かに、見つからなかった場合、やよいをぬか喜びさせるだけだ。そして高槻氏の問題は、やよいだけじゃない。むしろこっちの方が深刻だろう。
涼『ただ、やよいさんのご家族は会いたがらないかもしれません。こういう言い方をするのも気が引けるのですが、高槻氏の行動で家族がバラバラになってしまった、特に長介君は複雑な感情を抱いていますし』
P「ああ、それも課題だな……。でもそう言っている間にも移動するかもしれない、○○公園だね、俺も今から行くよ」
涼『え? レッスンの方は……』
P「天ヶ瀬君に任せる! じゃあ後で!」
みんなには悪いが、こちらも解決しなければいけない問題だ。アイドル達を天ヶ瀬君らトレーナーズに託し、俺は○○公園へと車を走らせる。
涼「プロデューサーさん!」
P「涼君、ここに高槻氏がいたのか?」
涼「恐らくは。可能性は低いですが、現在もここで仮住まいをされているかもしれません。探しましょう!」
涼君と手分けして、高槻氏を探す。トイレの中、土管の中、隅々まで探すもいるのは子供とその母親だけ。高槻氏どころか、ホームレスの姿すら見当たらない。
涼「すみません! こっち来てください!」
涼君は愛ちゃん張りの大声で俺を呼ぶ。お母様方が何事かとこっちを見たが、無視して涼君の元へと駆けよる。
P「何か見つかったのか?」
涼「ええ、これ見てください」
P「これは新聞か? 2012年8月20日……。事故の翌日の新聞じゃないか!!」
風で飛ばないように四隅を石で抑えられている新聞。それには、忌々しい事故の記事が書かれている。
涼「ここは元々ホームレスの仮住まいとして使われていたみたいですが、幸いにも402便の記事が1か所だけありました。屋根もありますし、雨にぬれずに状態を維持できたんでしょう」
涼「これは推測にすぎませんが、やよいさんの曲、402便の事故記事。この2つは高槻氏がここにいたことの証拠とみていいでしょう」
P「じゃあ高槻氏は……」
涼「駅に向かったのかもしれません。撤去命令が出たのがここ1年らしいので、まだ生存している可能性は高いでしょう。それにここ、飛行機が良く見えるんですね」
俺たちの頭上高くを飛ぶ飛行機。方向的に羽田に帰るところだろうか?
P「そうだな……。きっと高槻氏もここから飛行機を見ていたのだろう」
涼「なおさら、高槻氏はここにいたんでしょうね。いつ402便が帰って来てもいいように、良く見える場所からやよいさんの帰りを待っていたんだと思います」
娘の死を商売に使ったといわれる高槻氏も、本当はそんなつもりがなかったはずだ。もう少しだ、もう少しでやよいたちは再び家族を取り戻すことが出来る。
P「よし、駅に向かおう!」
涼「はい!」
高槻氏が生きているだろう有力な情報を得た俺たちは、駅へと車を走らせる。車内のラジオは偶然にも、やよいの歌が流れていた。
駅の駐車場に止め、俺達は高槻氏の捜索を再開する。
P「高槻さーん! 高槻○○さんはいませんかー?」
涼「高槻さん!」
道行く人に奇異の目で見られながらも、俺達は高槻氏の名を呼び続ける。この場にいないにしても、何らかの情報が手に入れば良かった。
モブA「ねぇ、あれ秋月涼じゃない?」
モブB「ほんとだ! すみませーん! 秋月涼さんですよね! サイン貰えますか!?」
涼「ええ!? い、今は……」
P「書いてやりなよ涼君。そんなに時間は取らないだろ?」
涼「そうですね。えっと、何に書けばいいかな?」
モブA「じゃあこれに書いてくれます?」
モブB「私はこれに!」
涼「あはは、ちょっと待ってね……」
苦笑いを浮かべサインをする涼君。今はアイドルと言うより、遺族会の一員という印象があるが、彼だってトップアイドルの1人だ。むしろこうやって遺族会や俺達に協力を惜しまないのはありがたいが、アイドルの仕事、どうしてるんだろ?
涼「すみませんね、捕まっちゃって」
P「気にしてないさ。涼君だってトップアイドルの1人なんだし、まあ仕方ないさ。有名税として受け入れなよ」
涼「はぁ、ちゃんと変装しておけばよかった。今後気を付けます」
秋月涼即席サイン会は、最初の2人で終われば良かったが、涼君の存在に気付いたファンの皆様がサインを求めようと行列を作ったため、かなりの時間を食ってしまった。人気者は辛いな、うん。俺も一応名の知れた人間だが、プロデューサーにサインを求める人間もまぁいないだろう。
P「よし、再開するか」
気を取り直して捜索に取り掛かる。駅前の大きな時計が、12時の合図を知らせた時、俺はある物に気付く。ゴミ箱を覗き込む顔。それは、写真に写る顔とどことなく似ていて……。
涼「いや、どうでしょうか……」
涼君は違うんじゃないかと言う顔をしている。俺はそれを無視して、男性の元へ駆け寄る。
P「すみません、高槻さん……、ですよね?」
?「!?」
P「ちょ、高槻さん!!」
名前を呼ぶと、男性は驚いた顔をして逃げ去る。
また致命的なミスをしてしまった……。死にたい。1から書き直したいぐらいだ……。だめですよね、はい。
P「これは新聞か? 2012年8月20日……。事故の翌日の新聞じゃないか!!」
↓
P「これは新聞か? 2022年8月20日……。あの日の翌日の新聞じゃないか!!」
涼「これはビンゴですね!」
P「どうやらそうみたいだな! 高槻さん! 待ってください!」
全力で逃げる高槻氏を追いかける。周囲は何事かと俺達のチェイスを見るが、すぐにどうでもよさそう歩き出す。
P「高槻さん! 新聞見たんでしょ!? やよいが帰って来たこと知ってるんでしょ!?」
やよい。その言葉に反応して、高槻氏は足を止める。
?「あ、あんたは……」
P「急に押しかけてすみません。高槻やよいのプロデューサーです」
?「そうか……。どうりで見覚えがあると思ったわけだ」
涼「はぁ、はぁ……。高槻さん、やよいさんは生きているんです! 帰って来たんです! あの時のまま何も変わらず!」
?「あの頃のまま、か……。やよいはそうかもしれないが、周りの環境は大きく変わってしまったよ」
P「高槻さん……」
高槻「こういう時、なんといえば良いんだ? 娘が世話になった。違うか……」
写真に写る顔とは似ても似つかない。厳しい生活を強いられているからか、やせ細っており、髭も整えられず生えっぱ、髪の毛も脂ぎって伸びきっている。何日も風呂に入れていないのだろう。鼻を通る臭いがそれを物語っている。
高槻「プロデューサーさんだっけか? 俺を探してるってことは、俺がしてきたことも知っているんだろ? 俺は姿を見せちゃいけないんだ。やよいには死んだってことで伝えてくれよ……」
P「ええ、あなたの行動は長介君から聞きました」
高槻「長介か……。懐かしい名前だな。つけたのは俺なのによ」
P「やよいは……、もう一度家族全員で過ごしたいと思っています。高槻さん、これを伝えるのは心苦しいのですが……。やよいに残された時間は、残り5日です」
高槻「なに? どういうことだ?」
ハトが豆鉄砲を食らったかのような顔をする高槻氏。当然だろう、プロデューサーさを名乗る男が、娘の命は後5日なんてことを言うんだ。驚かないわけがない。
P「それも踏まえて説明したいんですが……」
高槻「ちょ、ちょっと待ってくれ! その前に」
涼「その前に?」
高槻「風呂、入らせてくれねえか?」
なるほど、それは最優先事項だ。……風呂掃除大変なんだろうな、うん。
高槻氏の生存を確認した俺は、レッスンが終わっただろう春香に電話をかける。
P「もしもし、春香か?」
春香『プロデューサーさん! 急にどこ行っちゃったんですか!』
P「すまないな、少し新たな展開があってな」
春香『新展開ですか?』
P「やよい父が見つかったんだ」
春香『本当ですか! ねえ、やよ』
P「ストップ。やよいにはまだ話さないでくれ」
春香『何でですか?』
P「色々と複雑なんだ。下手なことをして、最後のチャンスをつぶしたくないしな」
春香『分かりました。じゃあ私はこれで……』
P「ああ、しっかり親孝行してこい!」
そう締めて、春香との電話を終わらせる。
P「ご両親にも連絡いれとかないとな」
春香の両親にも一方いれた俺は、ソファーに座り一息つく。まだ昼過ぎと言うのに、どっと疲れが出る。年甲斐にもなく全力で走ったからだろうか? 明後日ぐらいに来るんだろうな、筋肉痛。俺もいい歳だ。過ぎて行った栄光の日々を懐かしく思っていると、インターフォンが鳴る。涼君が戻ってきたようだ。
P「お疲れ様、涼君」
涼「えっと、こんなもので良いんでしょうか? サイズが合うか分かりませんが……」
P「大丈夫じゃないか?」
涼君には高槻氏の服を買ってきて貰っていた。話を聞くと、何年も服を着替えていないようだった。俺には想像したくない話だ。風呂自体も何年振りだろうか? 余程気持ちいいのか、なかなか上がってこない。
涼「じゃあ僕お昼つくりましょうか?」
P「ええ? そこまでしてもらわなくても」
涼「良いんです。料理は僕の得意分野ですから。えっと、台所借りちゃいますね」
P「そう? じゃあお願いしちゃおうかな」
涼君はそういって、料理に取り掛かる。流石オトメンと言うべきか、手際は非常に良い。
P「なんかこういうの、新婚さんみたいだな……」
涼『ねえ、あなた。起きてよ~』
涼『じゃーん! 今日は結婚して2週間記念日だから、豪華な料理作っちゃった! りゅんりゅん♪』
涼『おかえりなさい! ご飯にする? お風呂にする? それとも、私?』
P「ってなったり……」
P「ってちがああああああああう!!!!」
涼「ど、どうしたんですか!? 急に大声出して?」
P「い、いや……。雑念を振り払おうと頑張って……」
何を考えてるんだ俺は! 涼君は、男の子だろうが!! それ以前に俺には春香と言うハニーが……。
懺悔します。私は昔、涼君(女装)でしたことがあります。本当にすみませんでした。
高槻「えーと、すみません。着替えは……」
P「あっ、今行きます」
高槻氏の着替えを風呂場へと持っていく。
高槻「良い湯だった、掛け値なしに。髭もそったのは、いつ振りだろうな」
P「そ、そうですか……」
お風呂から出てきた高槻氏は、雑草のように生えていた髭を綺麗に剃り(俺の電動髭剃り使ったんだろうな)、さっぱりとした顔になっていた。写真と見比べると、やせ細ったぐらいだろう。
高槻「えっと、プロデューサーで良いんだよな」
P「ええ、お好きに呼んでいただいて結構です」
高槻「プロデューサー、さっき言っていた、やよいに残された時間が5日って言うのは、どういう意味だ?」
P「……言葉通りの意味です。信じがたいと思いますが、402便の乗客は5日後、元いた場所に戻ります」
高槻「元いた場所?」
P「402便は再び、時空のはざまに閉ざされるんです」
高槻「悪い、俺は難しい話は苦手なんだ。もう少し分かりやすく説明してくれないか? 時空のはざまなんて、フィクションの世界じゃないのか?」
俺は貴音の説明を掻い摘みながら高槻氏に説明する。俺自身原理やら何やらの意味を分かっていないため、質問されたところで何も返せないんだが……。高槻氏は俺の話を相槌を打ちながら静かに聞く。
P「以上が、今俺から説明できること全てです」
高槻「難しいことは分からないが、やよいが後5日でドロンしてしまう、それだけは分かった」
涼「ド、ドロンって……」
そんな忍者みたいに消えるわけじゃないと思うが……。
P「だからこそ、やよいに、長介君たちに会ってほしいんです。これが家族の揃う最後のチャンスなんですよ」
高槻「プロデューサー」
P「はい」
高槻氏は、申し訳なさそうに口を開く。
高槻「やっぱり俺には、やよいに、家族に会う資格なんてない」
涼「高槻さん!」
高槻「やよいが今の俺を見たら何と思う? 俺は最低の父親だ。生活が苦しいから、やよいはアイドルになり、俺は仕事も長続きしない、ギャンブルに溺れる、挙句の果てに娘の死を商売にしたんだぞ? 長介たちの反応が俺のしたことを物語っているんじゃないか?」
涼「でもあなたは、やよいさんが帰ってくることをずっと待っていた! 公園付近の住民から聞きました。ずっとやよいさんのCDを流し、飛行機のよく見える場所で、402便が空の向こうから帰還するのをずっと待っていたはずです!」
普段の涼君からは想像もつかないぐらいの、強い声。そうだ、この人はずっと待っていたんだ。やよいが帰ってくるのを。それならば、簡単な話じゃないか。
高槻「君たちに何がわかるんだ! 俺は父親失格なんだ! 離婚してあいつらと別れて清々してるぐらいだ! 何に縛られることなく、自由に生きて……」
P「ええ、あなたは父親失格です。やよいだけじゃない、家族から逃げたんですから」
高槻「そうだとも! 逃げたんだよ俺は! 笑えよ……」
P「ですが、それを決めるのはあなたでもない。ましてや俺達でもない。あなたの、家族です」
高槻「俺は全てを失った、やよいが見てきた俺じゃない。今の俺を見て、あいつはなんと思う?」
躊躇いがちに言う高槻氏。彼は怖いんだ。自分の死を商売にした父親を恨んでないか、迎えてくれるのか。
P「やよいに会いたかったんじゃないんですか? やよいのこと、ずっと思ってたんじゃないんですか? だったら……」
高槻「プロデューサー、あんたも分かるだろ? 10年はよ、長すぎたんだ……」
P「分かるからこそ、やよいに会って欲しいんです。後悔して欲しくないんです」
高槻「俺は……、どうすればいいんだ?」
P「今は会いたいって気持ちだけで十分です。どうか何も考えず、抱きしめてあげてください。謝るのは、その後からでも遅くないと思います」
涼「やよいさんはきっとこう思いたいんじゃないでしょうか? 10年後に来て良かったと。仲間に、大好きな家族に会えてよかったと、今ここにいてよかったと。悲しいですが、僕達には分かりかねます。でも、やよいさんですから。きっと前向きにいますよ」
高槻「なあ、君達。何歳だ?」
P「えっと俺ですか? 33歳ですけど……」
涼「26歳ですが……」
高槻「つまり俺は、自分の半分ぐらいの子に喝を入れられたってわけか……。情けない、本当に情けない」
高槻氏は自嘲的に笑う。そして俺たちの目を見据えて、決意を新たにする。
高槻「お願いだ、プロデューサー。俺を……、やよいたちに合わせてくれ」
P「覚悟、決まりましたか?」
高槻「ああ、父親失格なら、今から挽回すればいい。向こうが拒んだとしても、俺は認めてもらえるまで、謝り続けるよ」
P「分かりました。それでは、やよいに会いに行きましょう」
涼「ええ」
俺達3人は小さく笑い合い、やよいの元へと移動する。
高槻家
長介「姉ちゃん、電話なってるよ?」
やよい「あれ? あっ、プロデューサーからだ」
レッスンを早く終わらせて、今日は家族水入らずの時間を過ごしてます。本音を言うと、お父さんもここにいて欲しかったかな?
やよい「はい! 高槻やよいです!」
P『やよいか? 俺だけど……、お前に朗報だ』
やよい「ろーほー?」
P『ああ、探していたお父様だが見つかったよ』
やよい「ええ!? お父さんが見つかったんですか!?」
長介「えっ?」
P『でだ、お父様はやよいに、家族に会いたがっている。やよい、会ってくれるか?』
やよい「もちろんです!!」
P『それは良かった。じゃあ一度お父様に変わるな』
電話越しに、プロデューサーと誰かが話している声が聞こえます。そして少しして……、
高槻『や、やよい……、なのか?』
やよい「おとう……さん?」
高槻『そ、そうだ……。お父さんだぞ?』
やよい「どこに行ってたの馬鹿!!」
高槻『のわっ!』
思わず大きな声を出しちゃったみたい。でも私は溢れ出る気持ちを抑えることが出来なかった。
やよい「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!! ばああああああか!!!」
高槻『か、返す言葉もない……』
やよい「すっごく心配したんだから! 何で、なんで勝手にいなくなっちゃうの!!」
なんか弟たちに怒ってるみたいだけど、お父さんだからいいんです! いい年して子供なんだから!!
高槻『その、すま』
P『はい、そこまで。やよい、馬鹿馬鹿言う方が馬鹿なんだぞ?』
やよい「知ってます!」
プロデューサーも馬鹿です!
P『感動の再会は、電話越しじゃなくて直に会わないとな』
やよい「お父さんに会えるんですか!?」
P『元々そのつもりだっての。じゃあ○○公園で待っているぞ』
やよい「はい!!」
お父さんに会える、それだけで心は弾みます。だけど……。
長介「姉ちゃん、あいつに会うの? 俺は会いたくない……。あいつのせいでっ!!」
長介は複雑な顔をしています。お母さんも、かすみも。みんなお父さんを許せずにいるんだね……。でもね、いつまでも仲が悪いのは、嫌だな。
やよい「長介が会いたくなくても、私が会いたいの。きっとお父さんも同じことを思ってるよ」
長介「そんなわけないだろ! あいつは自己満足したいだけなんだ! 勝手に本にしてごめんなさい、そのお金でギャンブルしてごめんなさい。姉ちゃんにそう言って終わりだよ!」
やよい「長介!!」
長介「悪い……、姉ちゃん」
久しぶりかな、こうやって長介を怒鳴るの。いつの間にかしっかりして来たと思ってたけど、やっぱりまだまだ子供なんだ。でも実際は私の方が子供だから、ちょーっと変な感じがします。
やよい「会ってもないのに、そう言っちゃダメ! だから会うの。何言われるか分からないし、私も何言っちゃうか分からないけど……。それでも! 家族は一緒にいなきゃ!」
長介「はーあ、姉ちゃん何言っても聞かないだろうしな……。俺も行くよ」
やよい「長介も?」
長介「……悪いかよ」
やよい「ううん。長介も、前に進もうと思ったんだよね!」
長介「俺は! ……あいつを1発殴るだけだ」
やよい「暴力はいけません!!」
長介「いでっ! げんこつ付きで言うセリフじゃねえよ! 説得力ねえっての」
やよい「きょーいくてきしどうです!」
長介「それ、意味分かって言ってる?」
もちろん、分かりません!! 私と長介は、お父さんがいるという公園へと向かいます。
公園
高槻「く、来るんだよな? な?」
P「そう言ってるでしょうが……。そわそわし過ぎですよ、高槻さん」
涼「緊張しているんですか?」
高槻「あ、当たり前だろ! こんなに緊張するのは、やよいが産まれるとき以来だ」
涼「産まれるとき以来?」
高槻「ああ、自分に子供が出来る。それはそれは緊張するもんだぞ。どんな子が産まれるのかな? 俺に似てるのか、母さんに似てるのか? そわそわしてて看護師に注意されたっけか」
涼「そうですか……。そんなこと聞いたら、こっちまで緊張しちゃいますね……」
涼君は物思いに沈む。そういえば涼君ももうすぐ父親になるんだっけか。この中で子供がいないのは、俺だけか。なんか仲間外れって感じ。
???「お父さん……?」
高槻「え?」
男3人他愛のない話をしていると、不意に後ろから声が聞こえる。振り向くと……。
高槻「やよい?」
やよい「はい! 高槻やよいです!!」
高槻「やよい!!」
やよい「わぁ!」
高槻氏はやよいを強く抱きしめる。もう2度と、離れないように……。
やよい「お父さん……、強いよ……」
高槻「ゴメンな……、ゴメンな……」
長介「……」
親子の再会を苦い顔で見守る長介君。彼が最も憎んでいる父親と、大好きな姉。長介君は心の整理がついていないようだ。
P「やあ、長介君」
涼「久しぶりって言えばいいのかな?」
長介「プロデューサーさんに、涼さんですか……。久しぶりって程でもないっすけど」
涼「えっと、オレンジジュースで良いかな?」
長介「すみません、気を使わせちゃったみたいで」
俺たちはベンチに座り、缶ジュースを開ける。
長介「なんって言ったら良いんですかね……。頭では分かってるんですよ、でもまだ許せそうにはないっす」
P「それは本を出したことかな? それともそのお金で自堕落な生活を送ったことかな?」
長介「そんな単純なものじゃないです。今はまだ、分かりそうにないですよ」
P「そうか。ならじっくり考えればいいさ。そして、受け入れていくんだ。いつまでも意地を張っていても、しんどいだけだからな」
長介「意地だなんて!」
P「良いじゃないか。今は家族が元に戻るんだから。長介君だって望んでたんじゃないのか? もう一度全員が揃うその日を。お父さんと、やよいが帰ってくる時を」
長介「そ、それは……、否定しませんけど……」
涼「長介君、君はお父さんのことを最低の父親だって思ってるんだよね?」
長介「だってそうでしょ!? あいつは!!」
公園中に響き渡るほどの大声を出す長介君。顔を真っ赤にして、息を整えている。
長介「すみません、大声出しちゃって」
涼「ううん、別に気にしてないよ。長介君、僕は高槻さんが父親失格だなんて思えないな」
涼君は長介君を嗜めるように柔らかい声色で言う。
長介「なんでそう言えるんです?」
涼「うーん、何でって言われると返答に困るけど……。高槻さんね、ずっとやよいさんの曲を聴いていたんだって。この公園でね」
長介「この公園で? それ、どういうことですか?」
涼「あっ」
涼君はしまった! とわざとらしく口に手を当てる。長介君は知らないんだよな、離婚した後、彼がどのような運命にあったかを。
長介「涼さん、さっきのは」
高槻「長介、それは俺から話そう」
泣き疲れたのだろうか、高槻氏の手を握るやよいは顔を真っ赤にしていた。弟たちや俺たちの前では涙を見せないやよいが、父親の前では感情を抑えきれなかったんだろうな。
長介「なあ……、あんたいったい何をしていたんだ? 教えてくれないか?」
高槻「でもその前に、これだけは言わせてくれ。ただいま、長介」
長介「……お帰り」
聞こえないぐらいの小さな声で出迎えのあいさつをする。とはいえ、高槻氏の目を見ようとしていないが……。
高槻「何から言えば良いか……。その、すまなかった。俺のせいで、お前たちに苦労をかけて」
長介「……別に。なんともねえよ」
高槻「俺は離婚した後、恥ずかしい話だが、浮浪者をしていたんだ」
長介「なっ!? そんなの、聞いてねえぞ!」
高槻「実家に帰るなんて選択肢もあったはずだが、俺はどうかしていたんだ。帰る家をなくして、この公園にずっと住んでいた。家から持ち出せた古いCDプレイヤーと、やよいのCDだけを持って。後はその日暮らしだ。水道の水で喉の渇きをいやし、ゴミ箱を漁り、空をゆく飛行機を見つめるだけの毎日だった。どうだ、軽蔑したか?」
長介「そんなこと言ってよ、俺はどうすればいいんだよ……」
高槻「お前が考えて、決めるんだ。俺はやよいにも長介にも会えた。それだけでもう十分だ」
長介「……十分じゃねえだろ。まだまだ十分じゃねえよ! 何俺と姉ちゃんに会えたから自分の仕事終わりみたいな顔してんだよ! あんたは償わなきゃなんない。今まで俺達に苦労かけたと思ってるんなら、最後まで家族に償うんだ。許されるかどうかは知らない。現に俺だってあんたを許せないと思う気持ちと、過ごしてきた境遇に同情している気持ちの2つがせめぎ合っているんだ。てか反則だろ、身の上話は」
高槻「聞いてきたのはお前だろ」
長介「そ、それはオヤジが勝手に! あっ」
P「ほう、」
涼「今」
やよい「オヤジって言いました!」
長介「い、言ってない!! 誰がこんな奴をオヤジって……、って抱き着くな!」
高槻「悪かったな……、本当にすまない……」
長介「泣くんじゃねえよ! ああ、もう! このクソオヤジは……」
うんざりしたように言うが、その顔は満更でもなさそうだ。
長介「姉ちゃんが悲しむからな……。言っとくけど、俺はまだあんたを許してないからな!!」
精一杯強がる長介君。それが何となくおかしくて、俺達はケラケラと笑った。止まっていた高槻家の時計は、動き出したんだ。
涼「行きましたね」
P「そうだな、ここからは俺達が入る場所じゃない。高槻家の問題だ」
高槻氏は俺達に軽く会釈をして、2人の子供とともに高槻家へと戻る。彼がもう一度父親に戻ることが出来るか、それは分からないが、願わくばもう一度もやし祭りでも出来たらいいなと思っている。
涼「では僕はまだやることがありますので」
P「大変だな、遺族会も」
涼「いいえ。元々誰かの世話をするのは好きですから。プロデューサーさん、付き合わせてしまってすみません」
P「おいおい、別に謝ることはないだろ? 俺だって高槻家は気にかけてたしね」
涼「そうですね。ってあれ? 電話だ。すみません。もしもし? り、律子姉ちゃん!?」
涼君は俺に断りを入れると、かかって来ていた電話にでる。どうやら涼君の天敵の鬼畜従姉から電話がかかって来ていたようだ。
涼「どうしたの? へっ? 意味分からないんだけど……」
P「何話してるんだろ?」
見る見るうちに涼君の顔は真っ青になっていく。一体律子は何を伝えたんだ?
涼「そ、そんなぁ! それまで決めって切れちゃった……」
P「涼君、何があったの?」
涼「はぁ……、それがですね……」
涼君はたまらないといったような顔をしている。律子のことだから、また無茶ぶりでもしたんだと思うが……。それは俺の予想以上の内容だった。
涼「結婚式の日取り、決まっちゃいました」
P「へ? 結婚?」
涼「はい、ウェディングです」
P「いや、言い直さなくても分かるよ?」
涼「25日、生すっか!? で結婚式を中継するって……。僕の意思はどこなんだろ……」
P「そ、それは災難だな……。同情するぜ」
涼「本当にメロスを再現しちゃうなんて……」
涼君は深くため息を吐く。そりゃそうだ、3日後結婚式ですなんて言われたら困惑するに決まってる。涼君の言うように、現代版走れメロスだな。律子がメロスで、涼君がその妹。暴君も人質の親友もいなく、あるのは消滅期限だけ。律子の気持ちもよーく分かる。ただ、涼君はなんというべきか……。
涼「でも、僕も覚悟を決めなきゃいけないんですよね……。子供までできたんだし、それに律子姉ちゃんには見ていて欲しかったから」
P「ああ、それがいいだろうな」
きっとこれを逃すと、涼君も桜井さんも後悔するだろう。だから多少強引でも、これが良かったんだろうな。そしてこれは、律子の最後のプロデュースだろう。涼君が女装を告白した後、律子はこんなことを言っていた。
律子『本当のことを言うと、私涼をプロデュースしたかったんですよね。なんだかんだ言っても、あの子には光るものがありましたし。でも876で良かったんだと思います。きっと私じゃ、あそこまでプロデュースできませんでしたから』
物悲しそうに言う律子の顔が、今でも思い起こされる。
涼「夢子ちゃん知ってるかな……。電話しておこう。それじゃあプロデューサーさん、僕はこれで」
P「頑張れよ?」
涼「はい。って何を頑張ればいいんだろ? ケーキ入刀の角度?」
P「いや、違うんじゃないか。それ」
どこかずれたことを言いながら、涼君は去って行った。
P「あいつらが、時間を動かしているんだよな……」
壊れた家族の再生、結婚と言うプロデュース。10年前から来たアイドル達が、今を生きている人に大きな影響を与えている。それだけで、彼女たちがここに来たことは無駄なんかじゃなかったといえる。
P「さて、どうすっかな」
差し入れを買って、シンデレラ達のレッスン場に向かうことにする。そうだなぁ。ドーナツでいっか。またかって言われそうだけど。
P「うっす、差し入れ買って来たぞ」
凛「プロデューサー。遅かったね」
P「悪いな。少々家庭の事情でな、ほれ。ドーナツだ。トレーナーさんもどうぞ」
トレーナー「あっ、ありがとうございます」
みく「プロデューサチャン! 酷いのにゃ~」
P「へ? どうしたニャース」
みく「ニャースじゃない!! 前みくのことスルーしてたにゃ!?」
P「前……。ああ、あの時か。あずささんが迷い込んだ日」
みく「みくだけ台詞がなかったにゃん!」
P「はいはい、ゴメンな、後そういうこと言わない」
素で忘れてたなんて言えない。
杏「ねえプロデューサー」
P「なんだ? 帰りたいいてのは無しな?」
杏「先手を取られたか! じゃなくて、その子誰?」
??「ドーナツ美味しいね!」
凛「えっと、あんた誰?」
??「私? 私は椎名法子だよ?」
幸子「椎名法子? まさかプロデューサー、あなた誘拐したんじゃ」
P「違うって。なんというか、ドーナツ買ったらついてきた」
楓「?」
莉嘉「ど-ゆーこと?」
P「えっとだな、新人アイドル?」
卯月「何で疑問形?」
法子「椎名法子です! ドーナツみたいにみんなを幸せにするアイドルになりたいな!」
杏「ドーナツみたい? それって穴の開いた……。まさかビ」
P「言わせるか! きらり! 杏を好きにしてよし!」
きらり「にょわー☆」
杏「いだだだだ!」
ふぅ、危ないところだった。でもまぁ、ドーナツみたいなアイドルってなんだ?
かな子「ドーナツ美味しいです」
P「お前は食べすぎるなよ?」
アイドル達は混乱しているので、俺の口から彼女について説明する。
P「法子は俺が良く行くドーナツ屋の常連客なんだ。今日も差し入れにドーナツ買おうとしていたんだが……」
P『えっと、新作ドーナツか。人気なのかあと1つしかないな』
法子『わぁ! 新作だ!』
P・法子『え?』
P『えっと、このドーナツ食べたいの?』
法子『もちろんです!!』
P『じゃ、じゃあ食べなよ。別に今日買わなきゃ死ぬわけでもないし』
法子『じゃあいただきます! そうだ! 一緒に食べませんか? ドーナツは1人で食べてもおいしいけど、みんなで食べるともっと美味しいよ!』
P『俺急いでるんだけどなぁ』
法子『じゃあ私がそっちに行けばいいんだね!』
P『い、いやそんなわけでも』
法子『良いからいいから! そう言えば結構この店で見る顔だね。何してるの?』
P『俺? 一応近くの芸能事務所でプロデューサーをしてるけど……』
法子『アイドル? ってことはドーナツのCMも来るの?』
P『CMなら来るんじゃないか?』
法子『決めた! 私、アイドルになります!』
P『ほえ?』
P「ってわけだ。法子を連れて事務所に行ったら、」
李衣菜「社長がティンと来たと」
凛「なら仕方ないね」
P「そういうことだ。実力は未知数だが、今日からみんなと同じアイドルとして頑張ってもらうから、よろしくな」
法子「よろしくお願いしまーす! はい、これ親愛の証のドーナツ!」
蘭子「真理の地平を夢見し穴、なんと美味であることか……(ドーナツ美味しいです)」
かな子「うん! これはいくらでも食べれるや」
凛「食べ過ぎじゃない?」
どうやら法子もすぐに馴染んだようだな。休憩をはさみ、シンデレラガールズのレッスンを行う。
P「なかなかいいぞ。これなら、アイドルとしてもやっていけそうだな」
法子「ドーナツのためなら何でもするよ!」
杏「この子のこと、ドナキチって呼ぶね」
P「ドナキチ?」
杏「ドーナツキチガ」
P「きらり! きゅんきゅんぱわー!」
きらり「がんばるにぃ☆」
杏「アーッ!!」
法子「仲良いんだね!」
凛「そうだね、仲良いね」
なんだかんだ言って、杏もきらりと仲がいいからな。うちの事務所きっての迷コンビだろう。
幸子「不思議と羨ましくないのは何ででしょうか……」
楓「若いって……、素敵?」
卯月「楓さんも若いですって」
李衣菜「ロックですね」
莉嘉「楽しそうだね! 莉嘉も混ぜてー!」
みく「またみくにゃん空気にゃん!」
蘭子「生命のカケラの絆と表現するのは福音に満ちているであろう(友情と言うのは素晴らしいですね)」
かな子「ドーナツうまー」
どこまでもフリーダムなシンデレラの皆様。ってかな子、レッスン中にドーナツ食べるな!!
P「よーし、みんな聞いてほしい。明日のレッスンだけど、あるアイドル達のレッスンを見学してもらう」
杏「見学? じゃあ行かなくていいよね」
P「最後まで話を聞きなさい。むしろ帰ったら後悔するぞ?」
彼女たちにとって、いい刺激になるだろうしな。是非ともその目に焼き付けて欲しいものだ。10年前のアイドル全盛期のトップを走り続けた彼女たちを。
凛「それって……」
P「10年前の遺産だよ。うち6人は、生きた化石だけどな」
李衣菜「成程、そういうことですか」
幸子「例の事故のことですね」
P「お前たちにはまだ話してなかったが、27日にサヨナラライブを開く。それは10年前出来なかったことだ。そして今、彼女たちはライブに向けて必死で頑張ってるよ。ブランクを埋めようと、最後に大きな花火打ち上げようと。その姿をお前たちにも見て欲しいんだ。自分たちの先輩の姿を余すことなく」
シンデレラたちは静かに俺の話を聞く。
P「トレーナーだって豪華だ。お前たちも知っている現役アイドルが着いているからな。非常に濃度の濃いレッスンを見ることが出来るだろう」
トレーナー「すみません、それ私も行っていいですか?」
P「そうですね。得るものはあるかと。だから明日のレッスンは見学にしたんだ。集合場所は○○レッスンスタジオ。時間はまた連絡する。遅れるなよ?」
一同『はい!』
杏「はーい」
P「杏、お前はちゃんと来いよ?」
杏「信頼無いなぁ。明日は行ってあげるよ」
P「はぁ、まぁ何でもいいけどな。じゃあ再会するか。トレーナーさん、お願いします」
1人1人何か感じることがあったんだろう、今日のレッスンは効率の良いものになった。
高槻家
高槻「みんな、すまなかった。俺のせいで迷惑をかけて……」
お父さんと長介と、我が家に帰りました。かすみもお母さんも、お父さんの顔を見て言葉を失いましたが、すぐにお帰りなさいと言ってくれました。お父さんは頭を地面につけて謝り続けています。土下座って言うんでしたっけ?
高槻「大変な時に、火種を大きくして……、挙句の果てにそれをみんなに押し付けて俺は逃げたんだ……。離婚したとしても、家族のことを思っているなら見えないところで助けるべきだった。なのに俺は生きることが精一杯だなんて言い訳をしていた……。本当に、申し訳ない……」
かすみ「顔あげてよ、お父さん」
高槻「かすみ……」
かすみ「ねえ、お父さんは……、絶望の中何に縋って生きていたの?」
高槻「……CDだよ。やよいの歌声だけが、俺にとっての生きる希望だった。ギリギリのところで踏みとどまって生きて入れたのは、裏切った娘の歌なんだ……」
やよい「お父さん……」
お父さんは泣きながらそう言います。きっとお父さんも寂しかったんだ。自分が悪いって分かってるけど、それでも本当は家族みんなでいたかったんだ。その思いが私に伝わってきます。そしてそれは、みんなにも……。
高槻「俺はどんな断罪も受ける。皆がもう会いたくないって言うのなら、俺は2度と姿を見せない。どうか……、決めてくれ」
お父さんの言葉にみんな静かになります。そんな中、長介が口を開きました。
長介「俺は……、俺はあんたが嫌いだ」
やよい「長介……」
長介「仕事も長続きしない、お金が入ればギャンブル、子供の死を本にする……。押しちゃいけないボタンを全部押してんだよ、あんたは」
高槻「それは……、謝っても謝りきれないと思う。でも俺はみんなが納得するまで……」
長介「最後まで話聞きなよ。俺はそんなあんたが嫌だった。でも同時に、あんたみたいな大人になりたいとも思ってた。なんだかんだ言って、家族のことをずっと思っていた。姉ちゃんのCDさ、全部持ってるんだろ? それだけじゃない、姉ちゃん関係のグッズも。あんたの部屋にあったよ、整理整頓出来てなかったけどな」
長介「だから……、俺は悔しかった。姉ちゃんがいなくなって、頼るべき人間がマイナスベクトルに走って、そのままエスケープされたんだ。きっとそれが悔しかったんだと思う。離婚届も書いてほしくなかった。今更だけどよ……」
長介「もし……、もしあんたが、もう一度家族を望むなら……、俺達は応える。だよな、母さん。みんな」
長介の言葉に、皆首を縦に振ります。
高槻「お、俺を認めてくれるのか?」
長介「でも、これだけは約束して欲しい。俺達の前からいなくならないでくれ。それが、俺達の願い、姉ちゃんの願いだから」
高槻「みんな、みんな……。ありがとう……」
みんなポロポロと涙を流します。私も泣きそうになるけど、我慢します。だって私は、長女だから。
やよい「泣いていいんだよ? 長介」
長介「けっ! 誰が泣くか!」
涙を必死でこらえる長介。きっと一番泣きたいのは長介なんだろうな。でもこれで、家族がそろいました!
やよい「今日はもやし祭りです!!」
やっぱり家族はみんな一緒が最高です!!
秋月家
涼の家でゆっくりしてると、慌ただしい様子で家主が帰って来た。
涼「律子姉ちゃん! 説明してほしいんだけど!」
律子「え? なにを?」
涼「とぼけないでよー!」
顔を真っ赤にして言う涼が少しおかしく、自然と笑みが浮かぶ。まぁふざけるのもこの辺にしておいて。
律子「ああ、ごめんなさいね。でもその前に、挨拶忘れてるんじゃない?」
涼「あっ、ただいま」
律子「お帰りなさい」
夢子「涼! お帰り」
なんだろう、今従弟の夫婦(まだだけど)と一緒に過ごしてるのよね。これっていわゆる小姑になるんじゃないかしら? 年上の従弟夫婦ってなんか嫌ね……。
涼「さて、説明してもらうよ。結婚式のこと」
律子「仕方ないじゃない。日程が合わなかったんだし、それにテレビ局としても数字が見込めると判断したのでしょうね。○○テレビは総力を挙げて結婚式をサポートするみたいよ?」
涼「いや、そんなビジネスライクに言われても! 静かに身内とか876関係者とだけでしたかったのに……」
律子「無理じゃないかしら?」
涼「なんで!?」
律子「だって、あなたの知り合いを挙げてみなさいよ」
涼「えっと、愛ちゃんに絵理ちゃん……」
律子「でも日高さんにはもれなく、はた迷惑なおまけがついてくるわよ?」
涼「そーだった……。あの人がいる限り平和に終わらないよ」
伝説のアイドル日高舞。彼女の破天荒な振る舞いに涼も何度か振り回されたことがあるみたい。どちらにしても、彼女がいる限り涼が望む形にはならないだろう。ならばいっそ、思いっきり派手にしてやればいいだけの話。
律子「これは桜井さんにも了承を取ってるのよ?」
涼「あっ、そうだ。聞き忘れてたんだ……。って夢子ちゃん、これでいいの!?」
夢子「うん、一応私たちだって芸能人の端くれだしさ、珍しいことじゃないわ。紀香さんだって、TKだって披露宴はテレビでしたんだし」
涼「どっちも悲惨な末路辿ってるよ! えっと、もうテレビ局にやっぱなしでって言えないよね」
律子「言ってもいいわよ? ただ、違約金が凄いことになるでしょうけどね。払える?」
涼「ひ、酷いよ~!」
律子「それにね、これは私たっての願いでもあるのよ」
涼「律子姉ちゃんの願い?」
律子「ええ。私の最後のプロデュースになると思うからさ」
涼「あっ……」
竜宮小町もサヨナラライブで終わりを迎える。そして私は、プロデューサーとしてでなく、アイドルとしてステージに上がる。だから最後は、従弟をプロデュースしたかった。あの時はまなみさんにてい良く持ってかれたけど、今度は私がプロデュースしてやる。人生最大の晴れ舞台を。
律子「まぁ涼が嫌って言うのなら仕方」
涼「律子姉ちゃん。僕の、僕達の結婚式、律子姉ちゃんにプロデュースしてほしい」
律子「え?」
涼「そりゃ話が強引で困ったよ? でもさ、律子姉ちゃんのプロデューサーとしての最後の仕事なんて言われたらさ、拒絶しきれないよ……」
夢子「私たち、律子さんを信頼していますから。だからその……」
りょうゆめ『お願いします!!』
律子「ちょ、ちょっと! 頭下げることないじゃない!」
2人仲良く、綺麗な角度でお辞儀をする。傍から見たら私悪役みたいじゃない! って私たち以外に誰もいないんだけどさ。
律子「揃って変に真面目なんだから……。類は友を呼ぶってこういうことかしら? 涼、桜井さん。あなた達の結婚式は、この私が責任を持ってプロデュースするわ。見た人の記憶から一生消えないぐらい、強烈なのをね!!」
夢子「ありがとうございます!」
涼「えっと、お願いするね。律子姉ちゃんなら、きっと僕達も忘れない、いや律子姉ちゃんだって忘れないぐらい素敵な結婚式になると思っているから」
律子「任せときなさい!」
残り期間は少ない。やることは山積みだけど、こうやってあれこれ考えている瞬間が一番楽しかったりするわけで。大丈夫よ、私。きっと上手くいくわ。
P「ただいまー」
レッスンを終え、誰もいない家に帰る。春香は親御さんに親孝行できているのだろうか? 高槻家は1つになれたのか? 涼君はどうなるのか? みんな気になるが、俺が入ってああだこうだ言う話でもないな。
P「おっ、メールが来てる」
コンビニで買った半額弁当を食べ、PCを立ち上げるとテレビ局の方からメールが来ていた。大方内容は24時間生っすか!? のことだろう。加えて律子が手回ししたのか、りょうゆめ夫妻の結婚式の招待状まで来ていた。局の近くの教会で行うらしいな。
P「後4日か……」
今日ももうすぐ終わる。残された時間は淡々と進んでいき、後戻りなんか出来ない。ボーっとしていても前に進んでしまうんだ。ならば俺達は最後まで頑張っていたい。貴音のわずかな可能性に賭けたい。みんなが笑って終わる、最高の結末を望んでいたいんだ。
P「ひと仕事して寝るか!」
幸い今日は春香の誘惑もない。心地よく、風呂場で1人の時間を過ごすことが出来そうだ。
風呂から上がると、携帯が光っている。春香からのメールだ。なんかデータが添付されてるな……。
P「へっ、親孝行できてるじゃないか」
家族3人で仲良さ気に写る写真。どうやら春香は親孝行がしっかりできたようだ。眩いばかりの笑顔に、こっちまで嬉しくなってくる。
写真を見つめていると、着信を知らせるバイブ。こんな時間に誰だろうか?
伊織『もしもし、私よ』
P「ああ、伊織。どうしたんだ?」
伊織『どうしたじゃないわよ! やよいの父が見つかったんなら、私にも報告しなさいよ!!』
P「あっ、悪い。忘れてたわ……」
伊織「はぁ、しっかりしなさいよね。あんたと言い、涼と言い、ほうれんそうがなってないんじゃないの? こっちだって探してたんだから」
P「そ、それは申し訳ない……」
いつの日か貴音に言ったことだが、まさか自分に返ってくるとは。情けないぜ。
伊織は電話越しにため息を一つ零し、話を続ける。
伊織「でもまぁ見つかったのは良かったわ。私からも感謝しておくわ、ありがとう」
P「なあ、どうしてそれを知ったんだ?」
伊織「長介から電話があったわよ」
P「長介君が?」
伊織「ええ。ついでに説教してやったわ。全く、女々しい男よね」
ズバッ! 長介君が一閃のもと、切り捨てられたイメージが頭をよぎる。
P「そう言ってあげなくても……」
伊織「女々しすぎるわよ! オヤジを認められそうにない~、俺どうしたらいい~って泣きついてきたの。内心認めようとしているくせに、子供みたいに強がっちゃって。こちとらカウンセラーじゃないんだから……」
P「そのなんというか……、お疲れ様です」
伊織「そういうケアはあんた達がしなさいよね。過ぎたことだからいいけどさ」
P「お嬢様のお手を煩わしてしまい、深くお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした」
伊織『キモい! それ滅茶苦茶キモい! 』
P「いや、俺の誠心誠意の謝罪なんだが……。水瀬家ってこんな感じじゃないの?」
伊織『あんたが金持ちに大きな偏見を持っていることはよーく分かったわ』
P「じょ、冗談だって!」
伊織『でもまぁ、これで私も溜飲がおりたわ。うじうじされてちゃこっちも気が気でないもの』
P「上手くいけばいいな」
伊織『行くわよ。やよいがいるんだから。じゃあ私は切るわね、おやすみなさい』
P「ああ、お休み」
伊織との通話を終え、ベッドに横になる。1人分だとちょうどいいぐらいの大きさだが、昨日の夜を思い出して、少しばかり寂しくなる。心なしか春香の残り香を感じる、なんて言うと変態チックだな。
P「俺も寝るか」
明日も早いんだ。おやすみなさい。
最初に断わっておく。これは夢だ。所謂明晰夢、映画の中に自分が入り込んだような感覚。
大きなドームに1人、熱気あふれる客席からの歓声を一身に受ける少女がいる。眩いライトの下、笑顔で手を振り別れを告げる彼女を、俺は暗い舞台袖から見ていた。
??「おつかれさまでしたー! 大成功でしたね! みんなあんなに喜んでくれてっ!」
P「ああ、素晴らしいフィナーレだったよ。今日のこと、ファンは、一生忘れないと思う」
??「あのっ、プロデューサーさん。サヨナラする前に、少し外、歩きませんか? 話したいことが」
P「いいよ。……それじゃ行こうか」
神妙な顔つきで、ドームの外へと出る2人。これには俺の意思はなく、ただ夢の中のプロデューサーの視点から、彼女を見ているだけだ。
??「ふ~、外の空気、ひんやりしてて、気持ち良いです♪」
P「ステージの上は、すごい熱気だったもんな。……で、話したいことって?」
??「あ、えっと……私、決めました。これから先、どうするのか」
P「お、明日へのヒント、見つけたのか?」
??「はい! 私……。私、もうアイドル……。辞めてもいいかなって、思ってました。けど、やっぱり続けることにしますっ」
P「……そうか」
??「最後の曲、歌い終わって、思ったんです。これだけの人が、私を応援してくれてる……。なら、このまま、走り続けるのもいいかなって。すこし休んだら、また活動を再開します!」
P「よし、頑張れ。応援しているからな」
??「そ、それで……ひとつ、お願いが。……言っても、大丈夫ですよね? あれだけ、私のこと大切にしてくれてたんだし。よーし」
??「プロデューサーさん! これからも、ずっと私と一緒にいてください! お別れなんてイヤです!」
P「おいおい、いきなり、なんてことを……。もうトップアイドルなんだし、俺の助けなんて……」
??「必要ですよぉ! ここまでこられたのも、全部プロデューサーさんのおかげですし、それに…」
??「も、もし、よかったら……私のこと、今より、もっと近いところに、置いてほしいなって」
P「は? って、おい、それ……ヤバい意味じゃないだろうな?」
??「全然ヤバくないです! だって、これって、自然にわいてきた気持ちだしっ! それぐらい……、プロデューサーさんのそばにいたいんです……」
一世一代の告白だろう。彼女にとって、それは勇気のいることで。変わることよりも、変わらないことを選んだんだ。でも、俺は……。
P「――」
??「――」
彼女の表情が変わる。でも、それが喜びに変わったのか、悲しみに変わったのか。夢から醒めつつある俺に、判別することは出来なかった。願わくば、この2人に幸せのあらんことを――。
P「はぁ、なんというか、妙にリアルな夢だったな……」
ひとりの女の子の恋心、トップアイドルの地位。夢の中の俺は、どちらを選んだのだろうか? もう一度その夢を見る? そんな都合の良いこと、出来るわけがない。ただ言えることは、現実の俺は、スキャンダルが来ようとも、世間がなんと思おうとも、あらゆるリスクを冒してまでも、彼女と居続けることを決めた。
P「この選択は、正しかったのかな? ってんなもん決まってるよな」
そんなもの、今更考えることでもないだろ。
P「今日も1日、頑張るか」
8月23日、期限まであと4日
新聞もニュースも402便の話題で引っ切り無しだ。奇跡の生還を果たしたピアノ少女、変人教授の説、そして24時間生っすか!? の宣伝。今はこうやって話題になっているが、全てが終わった後、1か月もしないうちにみんな忘れてしまうんだろう。世間は熱しやすいが、その反面非常に冷めやすい。それはアイドルだって同じだ。10年前は星の数ほどいたアイドルも、憶えられているのはほんの一握りだろう。関心なんてものは、それぐらいに移ろいやすいものだから。新しいものが出ると、イヌみたいに走っていく。
P「ほんと、流行だけは何が起こるか分からないな」
昨日まで流行っていたものが、今日になって飽きられる。そこまで珍しい話でもない。
P「おっ、もうこんな時間か。そろそろ春香を迎えに行く用意をするか」
今日の朝早くから、春香は電車に揺られてこっちに来るらしい。もう少し親御さんといてもいいんじゃないかと思ったけど、春香の決めたことだ。俺がとやかく言う筋合いはないし、後悔なんかするわけないだろう。何度こけたって、その度立ち上がって歩き出す。あいつは、強いんだから。
P「さて、あいつらどんな顔するかな」
タイムスリップした、もしくは10年も前に引退したアイドル達と、今を輝くアイドル。この出会いが、良い方向に行きますように。
車を走らせ駅に向かう。春香のことだ、もうとっくに着いているのだろう。駅に着くと、春香と壮年の男女の姿が。仲良さ気に笑い合っているのを見ると、親御さんだろう。昔一度だけ顔を見たことがあったっけか。声をかけようにも、なんか気が引けてしまう。春香にとっては、最後の時間なんだから。しかし向こうはそうでもないのか、俺の車を見かけるや否や、手を振って走ってくる。
春香「おはようございます! プロデューサーさん」
P「ああ、おはよう。っていいのか? 親御さん」
春香「いつまでもいたら遅刻しちゃうじゃないですか。それに、私はもう十分です。お父さんとお母さんに感謝し切れたと思いますから」
春香は満面の笑顔で言う。
春香父「あなたは……、プロデューサーさんですね。春香がいつもお世話になってます」
P「いえ、こちらの方こそ、春香ちゃんには助けられっぱなしですから」
春香母「あら、春香ちゃんって呼んでるのね?」
P「いや! そういうわけでは……」
春香「ちゃん付けなんて初めてじゃないですか? 悪い気はしませんでしたよ?」
P「こっちが恥ずかしいの!!」
春香父「その……。もしかしたら私たちに悪いと思ってるかもしれませんが、プロデューサーさん。春香には幸せなまま最期を迎えて欲しいんです。それが、私たち親の願いですから」
春香母「ええ、寂しいけど、春香が一番隣にいたい人といて欲しいものね。あんたの幸せが、私たち親にとって何よりの親孝行よ」
春香「ありがとう、お父さん。お母さん……、じゃあ私、いくね?」
春香父「お願いいたします」
P「春香は、俺が責任を持って最後までプロデュースし続けます。それが、プロデューサーとして、恋人として春香にしてあげなければいけないことですから」
軽く礼をし、手を振る二人と別れる。車に乗り込んでも、2人は依然手を振っていた。
春香「もう、まだ振ってるよ……。こっちまで寂しくなるじゃん……」
P「なあ、春香」
春香「え?」
P「泣きたいなら、今泣いていいぞ」
春香「べ、別に泣きたいだなんて……」
そう言ってはいるが、彼女の声は弱く震えている。トップアイドルとはいえ、普通の女の子。親との別れがつらくないわけがない。
P「泣いていいって言ったんだ。てか泣け」
春香「泣けって! それ酷くないですか!?」
P「俺の前では!! 強がらなくていいんだよ……。誰もが憧れる強い女にならなくてもいい、ムカつくときには怒って、楽しいときは笑って……。泣きたいときには泣けばいいんだからさ」
春香「プ、プロデューサーさん……」
気付くと俺は、春香を抱きしめていた。
P「……俺にだって、泣きそうな恋人を抱きしめることぐらいできるんだ。俺のスーツは気にすんな、天ヶ瀬君には遅れるって言ってやる。だから、思う存分泣いてくれ……」
春香「ず、ずるいですよ……。プロデューザーざん。私、我慢しようって決めてたのに……」
P「はぁ、我慢する必要ないだろうが」
赤ん坊のように泣く春香。我慢していたものが、決壊したように零れていく。俺は春香が泣き止むまで、その体を抱き続けた。
P「よしよし……」
なんとなく、子供をあやす感覚。俺と春香の子供か……。可愛いんだろうな、うん。
春香が泣き止むのは数十分後、俺達は完全に遅刻だ。シンデレラ達に時間は守るように言っておいて、自分はこれか。なんとなく、申し訳なく感じる。
春香「こ、ここに今プロデューサーさんがプロデュースしている子たちがいるんですよね……」
P「そうだ。春香たちの遺志を継ぐ者たち、ってとこだな」
春香「その遺志っての、なんか嫌ですね」
P「すまん、言い方が悪かった」
春香「別に怒ったわけじゃないんですけど……。でも緊張してきました。行きましょう!」
幸いにも渋滞に捕まることもなくレッスンスタジオへ到着する。もう彼女たちは出会ってしまったのだろう。一体中でどんな化学反応が起きているのか……。期待3割、不安7割でドアを開ける。
春香「た、たのもー!!」
P「たのもー? なんか違うくないか、それ」
冬馬「よ、ようやく来たか……」
P「天ヶ瀬君、お疲れだね」
冬馬「誰のせいだと思ってやがる……。なんでこう765プロは変な奴しか集まらねえんだよ……」
P「採用担当社長だからなぁ」
ドアを開けるとそこは、ワンダーランドだった。新旧アイドル入り乱れた、ドルオタの皆様からすれば、桃源郷なんだろうが……。収集つくのか、これ?
卯月「あーっ!! あなたはあの超有名アイドルの天海春香さんじゃ!!」
春香「へ? いかにも天海春香は私だけど……」
卯月「私島村卯月って言います! 春香さんみたいなアイドルになりたくて……、うぅ」
春香「ちょ、ちょっと卯月ちゃん? 何で泣いているのでしょうか……」
P「そりゃ会えるわけ無いと思ってたからな。実感が湧かないかもしれないが、お前たちはいわば伝説なんだし」
春香「アイアムレジェンド?」
P「イエース。ユーアーレジェンド」
卯月「そうです! レジェンドですよ、レジェンド!」
春香「じ、実感が湧かない……」
絶頂期に姿を消したからな。必要以上に神格化されるのは仕方ないか。
卯月「宇宙からの侵略者を歌の力で追いやったとか!」
春香「記憶にございません!!」
流石にそれはない。
春香「ちょいちょい、プロデューサーさんや」
P「どうした、婆さんや」
わざとらしくおじちゃんみたいに返す。
春香「ぶっ、ま、まだピチピチの18歳です!」
あずささんと楓さんが春香をにらんだが、まぁ無視しておこう。
春香「えっと、卯月ちゃんでしたっけ? 何でか分からないんですけど、他人を見てる気がしないんですよね」
P「き、気のせいじゃないか?」
それは……、否定しきれないな。世間では天海春香2世だなんて言われてるし。うちのアイドルは、その2世と呼ばれるアイドルが多かったりする。例えば……。
幸子「あなたも女子高だったんですね」
真「君も女子高なの?」
幸子「エスカレーター式の○○中ですよ」
真「ほんと!? いいなぁ、名門じゃんあそこ。ボクも行きたかったなぁ」
輿水幸子、一人称が「ボク」なこともあってか、菊地真2世だなんて呼ばれてる。といっても、2人のキャラクターは全然違う。幸子の見た目は別にボーイッシュじゃないしな。ただやたら自分のこと可愛いと言うから、男の娘疑惑が出たっけか。男の娘で成功したのって涼君ぐらいしか知らないぞ。
莉嘉「がおー! セミだぞー!」
亜美「だぞー!!」
幸子「ひぃ! 莉嘉さん! 背中にセミを乗せないでとあれほど……」
真「こっち来ないでー!!」
亜美と莉嘉は仲良くなるだろうなと思ってました。妹、姉は不憫……、ってわけでもないか。
響「君……、猫の匂いがするぞ」
みく「わっ、気づいてくれたかにゃ? みくにゃんはにゃん娘アイドルを目指しているにゃん!」
響「なんか仲良くなれそうだな! なっ、ハム蔵……。ってみくはハム蔵を食べないってばー!」
みく「流石にネズミを食べるのはゴメンだにゃん」
きらり「にょわー☆」
やよい「うっうー! 元気になります!」
律子「か、彼女たちが10年後のアイドル達なの……」
律子が驚くのも無理はない。彼女がプロデューサーをしてた時に、こんな個性的な面々はいなかったからな。どうにも天ヶ瀬君の言うように、我が765プロにはあらゆるニーズに応えうる人材が集まっているようだ。
凛「ねえプロデューサー。そろそろ始めないと」
千早「時間は有りませんからね」
P「おっと、カオス空間に気を取られてたよ。そんじゃあみんな聞いてくれ!!」
千早と凛に急かされるように、俺はアイドル達を収集する。新旧765プロ、上はピー歳(あずささん、睨まないでください)、下は12歳と幅も広い。俺は今日のレッスンの目的を説明する。
凛「これってさ、奇跡みたいなもんだよね。こうやって、765プロにいたアイドルのみんなが集まってさ、同じっレッスンをするって」
莉嘉「美希ちゃんがアイドルって変な感じだね」
美希「これでも結構有名だったんだけどな。莉嘉はまだ2歳ぐらいだったし、知らなくても仕方ないのかな」
かな子「事務員の印象が強いからね」
楓「美希さんは……、私たちの世代の憧れの的だったの」
楓さんの言うように、美希はアイドルの中のアイドルだった。あの事故が起きなければ、歴史に名を残していただろう。尤も、それも過ぎたことなんだが。
P「今日は互いに学んで、これからの活動に活かしてくれ! じゃあ始めるぞ!」
杏「それじゃバイバー……、今日は頑張ろうかなぁ、うん」
P「今日も、の間違いだろ?」
さすがの杏も、帰っちゃいけない空気を読み取ったのか、レッスン場に残る。さて、レッスンを始めようか。
P「これは……、想像以上だな」
新旧765プロ合同レッスンは、俺が思っている以上の効果が出たようだ。現役トップアイドル達に、世界で活躍する歌手、10年前から来たダンス系アイドル、伝説のビジュアルクイーン。これ以上ないぐらいのメンバーに囲まれた、最高の環境だろう。今日1日だけと言うのが、もったいないぐらいだ。だからこそ、この一瞬一瞬、真剣にレッスンに取り組んでくれている。気付くとお昼を回っていた。俺もお腹がすいてきた。
P「うっし、休憩するか」
レッスンを切り上げて、昼食休憩を取る。レッスン場では飲は良くても、食はダメだ。どこかで食べるか。
卯月「あっ、プロデューサーさん! お弁当作って来たんですが……」
そんなことを考えていると、卯月が俺に弁当を差し出す。たまにこうやってくれるのだが、今日ばかりはやめた方がいい。だって……。
春香「プロデューサーさぁん?」
閣下がこちらを睨んでいます。
P「う、卯月! 悪い、それはまた今度お願いできるかな……」
卯月「えー。せっかく作って来たのに……」
P「ゴメン! 何でも言うこと聞くから!」
卯月「本当ですか!? じゃあ来月、遊園地に一緒に」
春香「ゴメンね卯月ちゃん、プロデューサーさん、借りてくねー」
P「うわああああ!」
卯月「あっ、行っちゃった……。お弁当どうしよう……」
かな子「私食べようか?」
凛「太るよ、それ」
春香に引きずられるまま、レッスン場を出る。春香こんな力強かったっけ……。
春香「この節操なし! どうせ若い子の方がいいんでしょ!?」
P「うぐっ! ってお前も十分若いだろ!」
おばさんみたいなことを言う春香に突込みを入れる。
春香「それに……、卯月ちゃんの目、恋している乙女の目をしてました」
P「そうなんだよなぁ……」
春香「自覚あったんですね」
流石にそこまで鈍くない。誰かに好意を持たれるというのは、悪い気はしない。相手がアイドルとなればなおさらだ。しかし、俺は彼女の気持ちに応えることが出来ない。春香のことを棚に上げて言うのも、おかしな話だ。お前が言うなと言われても仕方ないだろう。
P「距離が近すぎたんだ。担当アイドルに惚れられるなんて、プロデューサー失格だな」
相手の恋愛感情を利用しているんだ。時々、これで良いのかと思う時がある。しかし、誰かに恋した女の子は不思議な魅力を持っている。恋愛御法度なアイドルからすると、なんとも皮肉な話だ。
春香「失格だなんて! そんなことありません! 私たちのプロデューサーさんは……、最高のプロデューサーなんですから! 卯月ちゃんの気持ちも分かります。好きになるなって方が無理ですもの」
俺を元気づけるように言う。屈託のない笑顔で言う春香に、俺は少し救われた気がした。
春香「あっ、でも。浮気は許しませんよ?」
P「俺は春香一筋だ!!」
もう少し信用してくれないかな……。
春香「折角ですからプロデューサーさん、どこかで食べていきませんか?」
P「なんか卯月に悪い気がするんだよな……」
春香「彼女の前で他の女の子の話しないでくださいよ。ってもしかして、卯月ちゃんは私たちの関係知らなかったり?」
P「アイドルはみんな知らないぞ。聞かれても適当にはぐらかしてるし」
春香「へぇ、どんな感じにですか?」
P「仕事が恋人だ、ってな」
春香「ははは……」
P「まあ何も食べないのもあれだし、どこかで食うか。って電話だ、もしもし」
テレビ局の方から電話がかかって来ていた。明日の打ち合わせの件だろうか、今すぐ来るように呼ばれる。急な気もするが、そもそも24時間生っすか!? 自体、急な話なんだ。俺は今から向かうと伝え、春香と別れる。
春香「テレビ局ですか? 行ってらっしゃい!」
P「行ってくるよ。シンデレラ達を頼んだぞ」
春香「はい!」
春香「今戻りましたー!」
卯月「あ、あの……。春香さん」
春香「卯月ちゃん、どうしたの?」
レッスンスタジオに戻った私を、浮かない顔の卯月ちゃんが迎えてくれました。もう、アイドルがそんな顔しちゃ……。
卯月「私、知らなかったんです。プロデューサーさんと、春香さんが恋人同士だったなんて」
春香「へ? なんで知ってるの?」
さっきプロデューサーさんはアイドルには話してないって言ったのに……。もしかして誰かが教えたのかな?
卯月「その……、春香さんの顔を見てわかりました。あの時、嫉妬してる顔してましたから。分かるんです、私も同じですから……。美希さんにもそう教えてもらいました。春香さんとプロデューサーさんの絆は、そう簡単に切れやしない、私たちには勝ち目がないって……。悔しいですけど、お似合いでしたから」
春香「卯月ちゃん、そのなんといえば良いんだろ……、ごめ」
卯月「大丈夫です! だから、謝らないでください……」
私から見ても卯月ちゃんは可愛い。私が男の人で、彼女に告白されたら間違いなくOKと言うだろう。それは鋼の精神を持つプロデューサーさんだって……。
不意にネガティブな感情が私を支配する。私とプロデューサーさんは、10年前に事故に遭わなくても、ずっと一緒にいたのかな? 春香一筋だって言ってくれてるけど、それは本当なのかな? 私がいなくなったから、プロデューサーさんは私と言う鎖に囚われたままなのかな? 一度泥沼に足を踏み入れると、ずぶずぶと溺れていくだけ。
私は、永遠になってしまったのかもしれない。
千早「春香、春香!!」
千早ちゃんの声で、現実に戻る。レッスン中なのに余計なことを考えるなんて、やっぱり私はダメだな。
春香「あっ、ゴメン。少しボーっとしちゃって」
千早「島村さんのこと、気になるのは分かるけど、今はレッスンに気を向けましょう」
春香「あはは、バレちゃった?」
千早「分かるわよ、それぐらい。島村さんに罪もないし、春香も悪くない。私はあまり恋愛とかそういうのは分からないけど、そうやって悩むぐらいなら、恋愛はするもんじゃなさそうね」
春香「へ?」
千早「こっちの話よ。レッスンが終わったら、確認しなさい。あなたが何に悩んでるかは知らないけど、きっと春香が思ってる以上に答えはシンプルなものかもしれないわ」
冬馬「話はすんだか? じゃあもっかい行くぞ」
春香「えっと、ごめんなさい……」
冬馬「謝るなら、レッスンで見せてくれよな。後輩たちも見てんだ、無様な姿見せんじゃねーよ」
卯月「あっ……」
申し訳なさそうにこっちを見る卯月ちゃん。私が情けない姿を見せたから、余計気にしちゃってるのかな。口でいくらでも言っても、伝わらないなら――。
春香「~♪」
千早「吹っ切れたのかしら?」
冬馬「出来るんなら、最初からやれっての」
春香「~♪」
レッスンでも、ライブでも、その時に出来る最高のパフォーマンスをする。それが、卯月ちゃんへの私なりのメッセージ。確かに怖い。プロデューサーさんも、私がいなければ誰かと結婚して、幸せな家庭を築いていたかもしれない。いなくなった私に、気を使っているのかもしれない。でも、変わらないことは1つ。私はプロデューサーさんが大好き。その気持ちは、何年たっても色褪せないと思う。
卯月「す、凄いです……」
春香「ふぅ、卯月ちゃん」
卯月「は、はい!」
春香「私は負けないいからね」
卯月「……こっちこそ!」
冬馬「? なんの話だ?」
千早「まぁ何でもいいですけど」
P「ふぅ、終わった終わった……」
テレビ局での打ち合わせを終わらせ、レッスンスタジオへと向かう。にしても今回ばかりは、スタッフのみんなに足を向けて寝れないな。こんな急な仕事、それに無茶を良く受けてくれたものだ。武田さんを始め、感謝しても、し足りない。
P「上手くいけばいいけどな」
そればかりは神のみぞ知る、と言うとこだろう。時間がないため、大まかな流れ以外は、アイドル達のアドリブだ。下手すれば24時間グダグダなまま終わるかもしれない。でも皆なら大丈夫だろう。根拠はないけど、そんな自信が俺にはあった。いつものドーナツ屋により、全員分のドーナツを買って帰る。流石に今日は、法子はいない。っていたら困るんだが……。
P「すまない、今戻ったぞ!」
法子「クンクン……、この匂いは……。ドーナツだね!?」
幸子「好きですね、ドーナツ」
法子「ドーナツ嫌いな人は人間じゃないよ!」
響「さーたあんだーぎーある?」
P「ああ、あるぞ! 天ヶ瀬君、今日の状態はどうだった?」
冬馬「あんたがいなくてもやっていけたよ」
愛「皆さんすごかったです!!」
P「そっか、途中で抜けてしまってすまないな。明日の打ち合わせがあったんだ」
あずさ「24時間生っすか!? ですよね?」
P「ええ、大まかな流れは出来ました。生っすか!? のコーナーのスペシャル版ですね。途中でニュースも入りますけど、基本的にはアイドル主体の番組になる。でだ、急な話で非常に申し訳ないんだが……」
雪歩「なんですか?」
P「途中で歌うことになるんだ」
律子「えっと、もしかして尺が足りなかったとか?」
P「……そう言わないでくれ」
春香「で、でも! ライブにこれない人も見れるし、良いんじゃないですか?」
P「こういう言い方をするのも失礼だと思うけど、本番慣れしておくって意味でも、貴重な時間だろうしな。本当にみんなには迷惑をかけるけど、どうか理解してほしいんだ」
アイドル達に頭を下げる。時間がないとは言っても、こんな無茶苦茶な話普通あっちゃいけない。24時間電波ジャックする以上、生半可な覚悟じゃいけないんだ。
貴音「プロデューサー殿、顔をあげてください」
真美「てかうちら、昔からいつもアドリブでしてたじゃん」
亜美「そーそー!」
美希「その日に台本なんてこともあったしね」
伊織「良く持ったわよね、あんなフリーダムな番組で」
響「それが良いんだぞ!」
やよい「楽しみです!」
真「そうそう! 菊地真改造計画、楽しんじゃうよ?」
雪歩「無理だと思うなぁ」
あずさ「あらあら~」
千早「歌えるのでしたら、俄然やる気が出てきましたね」
律子「ま、ある意味歴史に残るんじゃないですか?」
春香「大丈夫ですよ、プロデューサーさん! 1人ではできなくても、みんなとならきっと出来ますから!!」
P「みんな……」
俺の心配をよそに、アイドル達からはやってやる! と言う気概を感じる。
愛「皆さんならできます!!」
絵理「うん、すごく楽しみ?」
北斗「録画しないとな」
翔太「24時間はきつくない?」
冬馬「仕方ねえから見ててやんよ。感謝しな」
876とジュピターも太鼓判を押す。ってあれ?
P「え? 聞いてないの?」
冬馬「は?」
絵理「何も聞いてないけど……」
P「その……、明日の番組だけど、アイドルオールスターなんだよね」
愛「どういうことですか?」
P「えっと、765以外で交流のある876、ジュピターもゲストとして出る……、みたいな?」
翔太「ええ!? 聞いてないよ!」
P「すまん! どうも手違いで君たちには連絡がいってなかったみたいだ!」
絵理「急な話は……、少し怖いかも」
愛「問題ないですって! その場のノリで何とかできます!」
北斗「ははは、録画どころじゃないな……」
冬馬「ったく、あんたらとつるんでから碌な目に合わないぜ……」
渋々ながらな面々もいるが、まぁ了承ってとこだろう。後で両方の事務所にお礼の品を送っておくか。
李衣菜「って765もって事は……」
凛「私たちも?」
法子「法子チャレンジでドーナツ食べ続けるとか!?」
P「所属してまだ2日だろうが……。ああ、といってもアシスタント的な感じだがな。まだ名前は浸透しきってないし、これをきっかけに覚えて貰うんだ」
蘭子「24の刻を告げるスフィアビジョン……、血が騒ぐ……(24時間テレビ楽しみです)」
杏「ぐうたらしていいなら出てあげるよ?」
P「きら」
杏「やりますやります!!」
きらり「頑張ってみんなを癒しちゃう☆」
幸子「24時間もボクの可愛さを映したら、見てる人も困惑しちゃいますからね!」
莉嘉「お姉ちゃんに自慢しとこっと!」
かな子「24時間なら痩せれるかな……」
凛「知らないよ、でも24時間テレビか。頑張らなきゃ」
李衣菜「これもまたロックですね」
みく「頑張るのにゃ!」
楓「……うん、頑張ります」
法子「ドーナツのCMのオファーが来たりして!」
卯月「私たちだって負けませんよ! 新生765プロの意地、見せちゃいます!」
シンデレラ達も、目に強い意志を見せる。最初に出会ったころに比べて、自信もついてきている。今日のレッスンは、無駄ではなかったんだろうな。
P「すまないな、みんな。そしてありがとう。みんななら、歴史に残る最高の番組を作ることが出来ると思う。明日明後日、長丁場だけどどうか頑張ってほしい。じゃあ今日はここまで! 明日に向けてしっかりと休んでいてくれ。それと、台本にも目を通してくれよな」
アイドル『はい!』
そう言って、その場は解散する。
莉嘉「ねー、どっかで食べない?」
亜美「いいねー! 真美、奢ってよ」
真美「はぁ!? やだよ! 何で真美が……」
あずさ「この後、少し飲みませんか?」
楓「……ええ、良いですね」
響「へぇ、この子可愛いな!」
みく「みくにゃんの大事な家族にゃ!」
凛「えっと、千早さん。教えて欲しいことが……」
千早「何かしら? 歌のことなら教えれるんだけど……」
新旧アイドル達入り乱れての交流に、微笑ましくなる。同期ばかりだった彼女たちに、ようやく後輩が出来たんだし、嬉しくなるのも仕方ないか。普段見せない顔を見せている。
卯月「あのっ、プロデューサーさん。少し、良いですか?」
P「卯月? どうかしたか?」
卯月「少し、話したいことがあって……。ダメでしょうか?」
P「えーっと……」
春香「えっと、千早ちゃん! 私も聞きたいことがあるんだけど……。少し長いけど良いかな?」
P「……分かった、外に出ようか」
卯月「はい」
俺は卯月とレッスン場の外に出る。少し歩くと誰もいない、小さな公園が見えた。俺達はそこのベンチに腰掛ける。
卯月「その……、お疲れ様でした」
P「ああ、お疲れ」
卯月の顔には、明らかに疲れが見える。今日のレッスンのしんどさを物語っているようだ。
P「卯月、なんか飲むか?」
卯月「え? 良いんですか?」
P「体調管理もプロデューサーの仕事だからな。にしても暑いよなぁ。ア○エリで良いか?」
卯月「じゃあそれで。すみませんね」
P「気にするなよ。とあるアイドルなんか俺が買ってくること前提だったからなぁ。それに比べちゃこんなもの安いもんんさ」
自販機にお札を入れて、ア○エリとお茶を買う。ひんやりしていて気持ちいい。
P「ほれっ。投げるぞ」
卯月「わっ、ありがとうございます」
P「ナイスキャッチ。じゃあ乾杯でもするか?」
卯月「良いですね、ペットボトルだから雰囲気でませんけど……。じゃあ乾杯」
P「乾杯」
卯月「ふぅ、生きかえります」
P「おっさんみたいなこと言うんだな」
卯月「お、おっさんじゃありません! プロデューサーさんの方がおじさんですよ」
P「うっ、おじさんか……。なかなか堪える、これ」
卯月「そ、そういう意味でも無くて! 格好いいおじさんですよ!」
P「あはは……、でもおじさんに変わりはないのね……」
卯月「もう、プロデューサーさん!」
あわあわする卯月が面白くて、わざとらしく傷ついたふりをする。
卯月「はぁ、こんなはずじゃなかったんだけどな……」
大きくため息吐かれる。それはそれで傷つくな。
卯月「プロデューサーさん、聞いてもらっていいですか?」
P「良いぞ。何でも言ってごらん」
卯月「その……、私知っちゃったんです。プロデューサーさんが、春香さんと恋人同士だったことを」
P「あっ……、そうだったのか。黙っていて悪かった」
卯月「いえ、そんなつもりで言ったんじゃありません。成程って納得したと同時に、すごく悔しかったんです」
P「……」
卯月「いつからか忘れちゃったけど、私はプロデューサーさんが好きになりました。最初は憧れだと思ってたんです。年上の出来る大人、そういうのに憧れていましたから」
卯月「でも、いつの間にかそれは恋心へと変わっていって、ずっと振り向いてもらおうって頑張ってました」
P「……ああ、知ってるよ」
卯月「やっぱりバレてましたか……。今日のお弁当もそうです。好きでもない人に、お弁当なんて作りませんから。でも、私は10年前から負けていたんですね。私が憧れた春香さんは、私の初恋の人の恋人で……。そりゃあお似合いなわけです、悔しいぐらいに」
P「卯月……、俺は……」
卯月「プロデューサーさん。私、結構しぶとい人間なんですよ? だから、まだ諦めきれないんです。好きな人には好きな人がいるって分かってるのに……。だから、ここで決着をつけさせてください」
卯月「プロデューサーさん、私はあなたのことが、大好きでした……」
卯月の気持ちが、言葉を通して俺の中に入ってくる。アイドルとして、1人の女の子として、彼女が悩んで出した答えなんだ。例えそれが、届かないとわかっていても……。
P「卯月、ありがとう。そんなに俺を思ってくれて……。すごく嬉しい」
卯月「うぅ……」
P「だけど、俺は……。それに応えることが出来ない。卯月が俺のことを好きなのと同じくらい、春香のことが好きなんだ。10年間、ずっと1人だけを待っていたんだ……。だから、ごめん」
卯月「もう……っ、春香さんもプロデューサーさんも謝らないでよ……」
P「卯月……」
泣き続ける卯月を、俺は抱きしめることが出来なかった。春香に悪いと思ったから? いや、違う。俺に、彼女を抱きしめる資格なんてなかったんだから。
卯月「ごめんなさい、時間取らせちゃって」
P「いいや、気にしないでくれ。もう遅い、送っていくぞ」
卯月「1人で帰れますから。家も近いし。それに、泣いているところ見られたくないから……」
P「そうか、でも気を付けて帰ってくれ。家に着いたら、一報頼む」
卯月「分かりました……。ねえ、プロデューサーさん。最後に、1つだけいいですか?」
P「構わないが……、って」
卯月「ふふっ、いただいちゃいました!」
P「構わないが……、ってんっ……」
卯月「んっ……、ふふっ、いただいちゃいました!」
P「あ、あああ……」
卯月「あっ、今の私のファーストキスですから!! それじゃあプロデューサーさん! お疲れ様です!」
P「お、おつか……れ?」
えっと、今さっき何をされた? 気付いたら、桜色の可愛い唇が、俺の唇に触れて……。接吻、英語にしてキス……。
春香「みーたーぞー!!」
突然後ろから、恐ろしい声が!!
P「ひぃ!! は、春香!?」
春香「はい、あなたの春香です! ってプロデューサーさん、キスしちゃいましたね……。私にはしたことないのに……」
P「し、しちゃいましたじゃなくてされたの!!」
春香「卯月ちゃんったら、最後の最後で大技繰り出しちゃいましたね。さすが恋のライバル」
春香はうんうんと肯いている。ってちょっと待って? こいつまさか……。
P「見てた?」
春香「ええ、覗く趣味はなかったんですよ? たまたま公園に来て……、すみません。気になって後つけました」
P「はぁ……、最初からこうなるのって分かってたのか?」
春香「はい、恋する乙女なら誰でも。でもキスは予想外でした。卯月ちゃんなりの反撃なんだろうな。プロデューサーさん、実は別れた後、卯月ちゃんとちょっとありまして……」
さっきまでの勢いはどこへやら、シュンとする春香。
春香「卯月ちゃんは自分の気持ちをちゃんと伝えました。でもプロデューサーさんは私を選んでくれました」
P「俺が好きなのは、お前だけだぞ?」
春香「それはすごく嬉しいんです。でも、もし……。もしですよ? プロデューサーさんが私を永遠のものにしてしまっていたらと思うと、不安になるんです」
P「どういうことだ?」
春香「プロデューサーさんが好きって言ってくれてるのは、10年前の私です。でももし、今この場にいる私が、28歳の私だったら……。10年間、ずっと傍にいてくれたのでしょうか?」
春香「例えば、例えばですよ? ここにリョミオとマコエットがいます」
なんか嫌な組み合わせだな、それ。って逆じゃないか?
P「別に涼君と真にしなくても、ロミオとジュリエットで良いだろうに」
春香「ほ、本人の希望です! 2人は悲劇的な結末を迎えましたが、永遠の愛を手に入れました。でももし、2人が生きていたら? それでもずっと好きでいられたんでしょうか?」
P「それは、考えたことがなかったな」
春香「私もさっき考えたんです。もしかしたら、目玉焼きにソースをかけるか、醤油をかけるかで揉めたかもしれませんし、互いの趣味の不一致で離婚したかもしれません。吊り橋効果だってこともあると思うんです」
P「……春香らしくないことを言うな」
春香「私は複雑で繊細な生き物なんです! こんな事だって考えますよ……」
P「それは悪かった」
春香「今の私たちは、リョミオ達と同じだと思います。だって私たちは、互いの嫌なところが見える前に別れて、そのままの状態ですから……」
春香「だから、怖いんです。プロデューサーさんは、私のせいで掴めるはずだった幸せを、手放してしまったんじゃないかって。私の存在が、足枷になっているんじゃないかって」
春香「ごめんなさい……。考えたくはないんです、でも私は自信を持って違うって言えないんです」
目の前にいる彼女は、俺が見たことないくらいに落ち込んでいる。ステージでは自信に満ち溢れた誰もが羨むトップアイドル、しかし今はどうだ? 俺のことを思って、悲しんでいる彼女をそのままにしておくことは出来なかった。偉そうなことを言えないが、天海春香を抱きしめる資格だけは持ち合わせているつもりだ。だから俺は……。
P「春香っ!!」
春香「プロデューサー、さん。えへへ、また抱きしめてくれましたね」
P「当たり前だろ……。なぁ春香、1つ教えてやる」
春香「え? んっ……」
P「こ、これで……、分かったか? 俺の思いが」
春香「こ、これって、卯月ちゃんと間接キスじゃ……」
P「そこに反応してほしくなかった」
我ながら卑怯だと思う。それにさっき別の女の子とキスをしたんだ。そのすぐ後に、同じ行為をする。傍から見たら節操がないように思えるだろうな。春香はと言うと、熟したリンゴみたいに顔を真っ赤にしている。
春香「で、でも今の、ファーストキス、ですよね……」
P「そうだな。こんな形でして、ずるいと思うよ」
伏し目がちに、春香は返す。
春香「プロデューサーさん、思い、伝わりました。でも、もっと伝えて欲しいんです。私が、壊れるぐらいに」
P「お望みとあらば、何度でもするよ。てか俺がしたい」
春香「んっ……あっ……、ず、ずりゅいですよ……、もう……」
P「壊れるぐらいって言ったのは、春香だろ? 言っておくけど、俺はもう止まらないからな」
春香「ちょ、ちょっと心の準備がんむ……」
いちいち見せる反応が可愛く、天海春香のこんな顔、こんな声を堪能できるのが世界にただ俺だけと言う事実が、俺を燃え上がらせた。世間も、理性も、この溢れんばかりの感情の前では無意味だった。
春香「キス、上手ですね……」
P「お前とするときだけだよ」
春香「……馬鹿。でも、伝わりました。プロデューサーさんの思いが、十分なぐらいに」
P「さて、帰るか。ってレッスン場に車置いたままだな。行くか、春香」
レッスン場まで、強く互いの手を握り合う。例え10年間一緒にいても、俺は彼女を愛し続けるだろう。そう言い切れるぐらい、俺は春香にぞっこんだったんだ。
きっかけはなんだったのだろうか? 俺が先か、春香が先か。きっと同時に動いたんだと思う。心地よい疲れの中、ふと思い出す。
春香「すぅ……」
P「寝つき良いよなぁ。まるで赤ん坊みたいだ。風邪ひかないようにしないとな」
隣には、生まれたままの姿で眠る少女。可愛らしい寝息を立てて、夢の世界へダイビング。その夢の中でも、俺が出てくれたら少し嬉しい。
P「……やってしまったんだよな」
超えてはいけないと、頑なに拒んでいた一線は、いとも簡単に超えてしまった。もちろんそれを後悔するつもりはないし、いつかはこうなると、10年前から思っていたことだ。ただ、親御さんに託されて、担当アイドルに告白されて、恋人と初めてのキスをして……。そして今この状況、今日はいろいろあり過ぎた。軽く自己嫌悪に陥る。
P「……俺も寝るぞ」
明日は早い。軽くリハを行ったうえで、生っすか!? に移行する。明日は、碌に眠れやしないから、十分睡眠をとろう。ってもう、日付が変わってるけどさ。
P「おやすみなさい」
8月24日、期限まであと3日
P「ふぁーあ……」
鳥のさえずり、ツクツクボウシの合唱、すぅすぅと心地良い寝息。目覚めたばかりの俺の聴覚はあらゆる音で満たされる。そして同時に、今の自分がどんな格好をしているかも思い出した。
P「って服着てないし……」
隣を見ると、布団を被ってはいるものの、俺と同じく裸のアイドル。もしこれを、パパラッチされたら、アイドル生命を絶たれ、俺はファンの皆様に殺されるだろう。もう少し見ていたい気もするけど、そろそろ起こしておこう。
P「起きろー、朝だぞー」
春香「んん……、プロデューサーさん、おはようござ……」
P「あっ」
春香「きゃあああ!! 服着てくださいよ!!」
枕を思いっきり投げられる。
P「いで! 服着ろって今起きたとこだっての! それにそっちだって」
春香「ふぇ? えっと、プロデューサーさん……」
P「なんでしょうか?」
春香「どこかは言わないですけど、違和感が……」
P「な、生々しいな……」
春香「うぅ……、歩きにくいです。まだ入ってる気がして……」
見るからにおかしな歩き方。何があったか、勘のいい人なら一発で分かるだろう。って原因は他ならぬ俺なんだが。生放送前日に何をやってんだよ、俺……。
P「その、なんというか……」
春香「でも、ようやく大好きな人と1つになれたんです。きっと忘れてしまっても、この痛みだけは忘れませんよ」
P「あまり嬉しくないな!」
春香「ふぅ……、少しマシになったかな。プロデューサーさん、朝ごはん作りますね」
P「作れるか? 無理しなくても」
春香「大丈夫ですって! 女の子は、プロデューサーさんが思ってるよりも強いんですから! ってうわぁ!!」
P「ほ、本当に大丈夫なのか?」
春香「いたたた……」
何もないところでこける春香。あまりにも綺麗にこけたもんだから、点数をあげたくなる。10点あげよう。
春香「ふんふんふーん♪」
のヮの印のエプロンつけて、鼻歌を歌いながら料理に勤しむ春香さん。俺はそれを後ろから眺めていた。上機嫌なのか、リズムに乗っている。それに合わせて、ヒップも揺れて……。
P「って駄目だ駄目だ!!」
いかんいかん! 性的な目で見てもうた! 向こうは普通に料理してるだけじゃないか!! そんな風に考えるなんて最悪だぞ、俺!
春香「なんかこれって、新婚さんみたいですね。あっ、裸エプロンの方が良かったですか?」
P「ノオオオオオ!!」
春香「ええ!? プロデューサーさん! どうしたんですか!?」
そんなこと言ったら、裸でしか見れなくなるだろうが!! 落ち着け俺、そうだ、こういう時は小鳥さんのす○ぴんを……。
P「ふぅ」
危うくオオカミさんになるところだった。ありがとう、小鳥さん! あなたのおかげで、俺は自分を保てました!!
春香「えっと、鼻血出てますよ?」
P「気にするな!」
なお今日の朝食は、春香がやたらアーンしてきたり、マヨネーズが顔についたりと、あらゆるピンチで、小鳥さんが大活躍することになったのは、ここだけの秘密だ。
春香「わぁ、テレビ局変わってないですね」
P「そこまで大きく変わる物でもないしな。台本は読んだか?」
春香「実はあまり……。ってプロデューサーさんが読ませてくれなかったんじゃないですか!」
P「そ、それを言われちゃ何も反論できない……。ってあの後すぐ寝たのは誰だよ」
春香「さ、さすがにあんなことをした後に、台本読むなんてムードも減ったくれもないことしませんよ!」
P「だから寝てただろうが……」
局の前で少々不毛な会話を繰り返す。これ、下手したらバレるんじゃないか?
春香「それに、あんなドキドキしたのは初めてです。だから、もう緊張しませんよ!」
春香はうんうんと1人肯く。そこまで元気なら、俺からも言うことはないな。テレビ局に入ろうとしたところで、後ろから元気な声が聞こえてきた。
卯月「おはようございまーす!」
春香「げぇ! 卯月ちゃん!!」
P「えっと、おはよう卯月……。ってあれ? どうしたんだそれ」
卯月「えっと、心境の変化です!」
目の前には、ピンク色のリボンを両方につけた卯月が。ってあれ? これって……。
春香「キャラ被り!?」
卯月「えっと、春香さんの真似してみました。こういうの、好きじゃないですか?」
P「ちょ、ちょっと卯月!?」
卯月は春香に見せつけるように、体を摺り寄せる。なついた猫が擬人化したみたいだ。ってそれはみくにゃんか。
春香「こらー! 卯月ちゃん離れてよー!」
卯月「プロデューサーさん、私は2号さんでもオッケーですからね!!」
そう言って卯月は、スタジオへと入っていく。
P「あ、あのー。春香?」
春香「あ、あの無個性泥棒猫め……、よりによって私の個性を……。許さない!! 行きましょう、プロデューサーさん!」
P「って引っ張るな―!」
物騒なことを言っているが、顔はそうでもなく、むしろ恋のライバルとの戦いを楽しんでいるようだ。なんだかんだ言いつつも、似た者同士仲が良いんだろう。
春香「プロデューサーさんは私のもの、私はプロデューサーさんのものですよ!」
P「そういうの、廊下で言わないで欲しいかなーって」
スタッフのみんなが、何事かと見ているぞ。
響「はいさーい!」
春香「おはよう、響ちゃん!」
スタジオには、すでにほとんどのアイドルが到着していた。新旧765に、元961のジュピター、876勢……。収拾がつかなくなりそうなぐらいだ。積極的に目立ちに行かないと、24時間顔が映らないってこともありそうだ。
響「あれ? クンクン」
あずさ「どうしたの、響ちゃん?」
春香「え、えっと……。私、変なにおいする?」
響「なぁ、プロデューサー」
P「おっ? なんだ?」
響「クンクン」
響は犬みたいに、俺の匂いを嗅ぐ。一応汗とかに気を使ってはいるけど、気分が良いものでもないだろうに。もしかして、加齢臭が……?
響「やっぱりだ。春香と同じ匂いがするぞ」
あずさ「え? でも今は一緒に暮らしてるんだからシャンプーは同じなんじゃ……」
響「そうじゃなくて、なんだろ? 説明しにくいけどむぐっ」
P「はい響は今日の響きチャレンジ頑張りましょうねー」
響の口をおさえ話をはぐらかす。彼女は気付いていないようだけど、それが意味するのは……。
春香「は、恥ずかしい……」
ちゃんとシャワーも浴びたぞ? 鼻が良すぎるのか?
そんなこんなしているうちに、アイドル達は集まって来る。杏は……、よしっ、いるな。
涼「はぁ……」
律子「もう、腹括りなさいよね!」
涼「何から何まで急だよ……。って夢子ちゃんは?」
律子「流石に桜井さんは妊娠してるからね。出番はもっと後よ。その分涼には頑張ってもらうことになるけど」
涼「何するの!?」
律子「それはお楽しみに。ねっ」
あずさ「あらあら~」
伊織「なんで私まで……」
亜美「んふっふ~、涼ちん覚悟しなよ~?」
涼「竜宮小町? い、一体何が……」
涼君は一切聞いていないみたいだな、鬼畜メガネこと秋月律子の、プロデュースと言う名の悪だくみを。
スタッフ「すみません! それでは流れの説明しますので、みなさんこっちに来てください!!」
スタッフの声に、30人超ものアイドル達は静かになる。よくよく見ると、あのスタッフは10年前生っすか!? でADをしていたスタッフだ。いつの間にか、番組を仕切るポジションにまで来たみたいだ。アイドル達もそれに気づいたのか、あの人だよね? とひそひそと話している。
スタッフ「それでは、リハ行きましょう! 3、ッハイ!」
春香「生っすか!?」
『ウェンズデー!!』
懐かしいコールがリハの始まりを告げる。尤も、あのころと違ってサンデーじゃなくてウェンズデーだったりする。時期が夏休みで良かったな。司会の3人はあの頃と同じメンバー。ただ春香だけがあの頃のままで、両隣の2人が10年と言う歳月を物語っている。この光景だけで懐かしく感じて、不思議と涙が出て来そうになってくる。
美希「みんな、お久しぶり! 星井美希なの!!」
千早「如月千早です」
春香「そして私が、天海春香! 私たち3人は、眠らずに頑張りますよ! って美希、大丈夫なの?」
美希「春香、私=寝坊助キャラっていう先入観は違うと思うよ?」
千早「これから24時間、今までのテレビの歴史を塗り替える企画を続々とやっていきます。最後まで、お楽しみに」
春香「それじゃあここで一曲! 私達3人で、MEGARE!!」
春香「どうでしたか、プロデューサーさん!」
P「ああ、良かったぞ。それと、大丈夫か?」
春香「はい、なんとか。って思い出させないでくださいよ!」
休憩のさなか、春香が声をかけてくる。ダンスのキレも歌も文句はなかったが、やっぱり例の部分が気になっていたりする。
春香「でもやっぱり楽しいですね。まだリハでこれだもん、本番はもっと楽しそうじゃないですか?」
P「そうだな、期待しているよ。見ている人に、最高の番組を見せてやるんだ!」
春香「はい!」
元気な挨拶をして、司会席へと戻っていく。節電でスタジオも少々暑い。水分を取ろうと、ペットボトルに口をつけると、
美希「ねえ、プロデューサー」
P「ぶぅ!」
美希「あっ、ごめんなさい。脅かす気はなかったんだけど」
P「い、いや悪くないぞ……」
美希「ねえ、1つ気になったんだけどね」
不意に声がして、水を吹き出してしまう。仕方なくハンカチで拭きながら、美希の話を聞く。
美希「プロデューサー、春香と寝たでしょ?」
P「ゴッホゴホ! チミは急に何を言うんだい!?」
P「そ、そんな破廉恥なこと……」
美希「嘘吐くの、下手ですよね。って本番前日にするのは流石に引くよ? 寝たって行っただけなのに、破廉恥って言うし……。やっぱり黒?」
P「な、なんでわかったの?」
美希「ってマジだったの?」
P「そんなにひかないで欲しいな……」
美希は真顔で一歩後ろに下がった。それはそれで傷つくぞ。
美希「まぁいつかの私も、こんな感じだったから、偉そうなこと言えないよね。春香とプロデューサー、気付いてなかったのかな? なんか通じ合ってるって感じが強かった。アイコンタクトってやつ? 愛コンタクト……、我ながら寒いの。こんなので笑うのは、千早さんぐらいかな」
そこまで笑いの沸点が低いわけじゃないぞ? 美希が言うには、俺にそんなつもりはあったかどうかは別としても、正直にも春香の姿だけ目で追っていたようだ。
美希「流石に嫉妬しちゃうな」
P「き、気を付けます……」
美希「別に良いよ? 春香以上のパフォーマンスをして、目を奪えばいいだけなんだし。んじゃ後でね!」
ウインクと投げキッス。一瞬だけキュンとしたが、すぐに鋼の自制心で自分を取り戻す。
スタッフ「なぁ、今美希ちゃんに投げキッスされたぜ?」
カメラ「ああ、俺達にしてくれたんだ!!」
P「は、はは……」
美希「~♪」
千早「上機嫌ね、何かあったの?」
美希「内緒!」
春香「もう、隠さなくてもいいじゃん!」
司会席に戻った女子3人は、ガールズトークに勤しむ。緊張もせず、自然体でいてくれて助かる。
貴音「プロデューサー殿」
P「貴音? リハは良いのか?」
貴音「台本に目を通していただけたら、わたくしの出番があまり多くないことも確認できると思いますが?」
P「あー、悪い。そういやそうだったか」
貴音「ええ、らぁめんを食べるだけの、簡単かつ魅力的な企画ですので……。それよりも、1つ伝えなければいけないことがあります」
相変わらずラーメンのイントネーションはどこかおかしい。といってもアメリカ暮らしのおかげか、発音はだいぶマシになってるが。
P「え? 今聞く話?」
貴音「このタイミングで言うのも気が引けますが……、大きな進展がありましたので、ホウレンソウ、です」
P「分かった、聞こう」
貴音「助かる可能性があるんです」
P「なっ!? 本当か!?」
貴音期待してくださったところ悪いのですが、限りなく低いかもしれません。ですが、現段階で考えうる中で、最良の手段ではないかと思います」
貴音と局のカフェに座り、彼女の話を聞く。『助かる可能性がある』、その言葉で、俺の心臓は止まりそうになる。ついに見つけたのか? 絶望の中の、一握りの奇跡を。
貴音「事故にあった方の中に、物理学を専攻されている方がいました。その方と、加藤教授、わたくしが導き出した、とっておきの切り札です」
P「教えてくれ! 一体どうすればいいんだ!?」
周りも気にせず、勢いに任せて貴音に詰め寄る。傍から見ると、別れ話を切り出されたみたいに見えるのだろうか?
貴音「落ち着いてください。切り札とも言いますが、非常に分の悪い賭けです。一か八か、八の出る可能性の方が高いでしょう」
P「つまり、何も変わらず、402便とともに消えてしまうってことだよな」
貴音「はい。しかし切り札は、その運命を乗り越えることが出来るかもしれません。それが分かるのは、期日のその瞬間。日付の変わるその時、事故被害者たちが消えていなければ、わたくしたちの勝ち。何もかも消えてしまえば、神の勝ち。そう捉えてください」
P「……聞かせてくれ、その切り札とやらを」
貴音「では、説明いたします」
貴音「まず10年前に戻ると言うことですが、加藤教授によると、402便はマイクロブラックホールに吸い込まれた後、時空のはざまに戻るわけではなく、それに囚われる前に戻るという計算結果を示したそうです」
P「つまり、マイクロブラックホールに入る前に戻るってことだよな?」
それは、402便が現象を回避し、無事に目的地、羽田に着けば死ぬという運命から逃れることが出来るということを意味する。成程、元凶たるマイクロブラックホールにぶつからなければ、こうやって10年後に来ることもなくなり、時空のはざまに囚われることもない。
貴音「マイクロブラックホールに巻き込まれたのは、3時37分から3時40分の3分間です」
P「その3分間で、奇跡を起こせるって言うのか?」
貴音「ええ、少なくとも、わたくしはそう信じたいです」
P「ちょっと待て、でもそれって……」
貴音「お察しの通りです。これは、わたくしたちにどうにかできる話でもないのです」
例えば402便が過去に戻るのなら、メモを書くだろう。何時何分にマイクロブラックホールが、だから避けてくれ。機長席に残す。しかし、402便、乗客はこの時代で得たものは過去に持って帰れない。今着ている服はどうなるか知らないが、その時着ていた服に戻り、思い出も何もない状態になるんだ。
貴音「加えて、回避したところで何も起きないとは考えられません。必ず、なんらかのアクシデントが乗客を襲うことでしょう」
P「ファイナルディストネーションってやつか」
死神の刃から逃れても、奴らはしぶとく追ってくる。死ぬタイミングがずれただけ。
貴音「死に直結するとは考えませんが、記憶や経験はもちろん全ての現象もその時点の状態に戻ってしまいます。つまり、彼女たちはいなかったことになるんです。ここではなく、飛行機の中にいる。わたくしたちとの時間も、シャボン玉のようにはじけて消える、夢幻のようなものです。嬉しかったことも、悲しかったことも、憶えているのはわたくし達だけ」
それは初めから分かっていたことだ。俺だけが憶えている、一方通行の思い出。改めて言われると、今やっていることもむなしく思えてしまう。そんな後ろ向きな自分を殺し、出来るだけポジティブに考えるよう。
しかしそれは、すぐに打ち砕かれる。現実は、いや非現実は俺が思っているよりも複雑で、残酷だった。
P「でもその時は、過去の俺達と、新しく思い出を作ればいい。そうじゃないか? むしろ13人そろって……」
貴音「古来より、たいむすりっぷというのは、あらゆる媒体で描かれました。小説、漫画、映画。しかしそのどれもが、実際に起こった出来事ではありません。今わたくしたちが対峙しているこの不条理は、前例のない出来事なのです。映画で良くあるたいむぱらどっくす、創作の世界通りに行くか? それは分かりません。誰もしたことがないんですから。恐竜の色を誰も知らないのと同じことです」
P「シュレディンガーのネコか? 何が言いたい?」
貴音「これは私の仮説ですが、10年前のわたくしたちと、今のわたくしたち。遺伝子レベルでは同じ。しかし、全く同じなわけではありません。むしろ、別物です」
貴音「10年前のわたくしたちと、事故被害者たちが対峙したとします。彼女たちからしたら、飛行機が揺れたけど羽田に着いた、それぐらいの感覚でしょう。ではここで1つ疑問が産まれます。わたくしたちと、事故被害者たちが10年間共に過ごしたとして、その記憶はわたくしたちにはあるのでしょうか?」
P「すまん……。頭がこんがらがって来たぞ」
貴音「分かりやすく説明するのは、難しいものですね。10年前のあなた様と、春香が結婚したとします。春香の旦那様は、他ならぬあなた様です。10年と言わず、永久に仲睦まじく過ごすのでしょう。それをAとします。しかし、今ここにいるあなた様、Bと、Aは別物です。一緒だとすれば、10年間の記憶の違いは、どうなるのでしょうか?」
P「それは……、俺と春香が結婚した記憶に……」
そこまで言って気付く。これは、あまりにも怖い話だということに。
貴音「そうです。事故そのものがなくなって、春香との日々の記憶が埋め込まれる、そう考えるのが妥当でしょう。しかしそれは、あなた様の10年間を否定することになるのです。同じように、他の皆も」
P「じゃ、じゃあ!」
貴音「三浦あずさと響の兄上様の結婚は? 2人の間に生まれた子供はどうなるのでしょうか? 美希は事務員になっていたでしょうか? かの伝説のアイドルに並んでいたかもしれません。やよいの父は家族を裏切ることがなかったのでは? 本なんて書く理由もありません。 雪歩も最後のライブで失敗しなかったのでは? 音無嬢も結婚……、は違いますね。わたくしたちだけ記憶が残る、と言って来ましたが、助かった場合、わたくしたちさえも記憶が変わるのかもしれません。24時間生っすか!? も普段通りの番組を放送しているでしょう。尤も、これは全て推論です。最良の方法とはいえ、それを確認するすべすら持ち合わせていないのです。説明が拙くて申し訳ありません……」
P「いいや、なんとなく分かった……」
なんと皮肉な話だろうか? 彼女たちが消えると、俺達はそのまま過ごせ、彼女たちが消えなかったら、俺達はそれに迎合される。いつの間にか、結婚した記憶が出来て、いつの間にか子供がいて。でもそれは最初からある物と思っていて……。
P「死んでいるのと同じじゃないか……」
貴音「ですが、全ての人は救われます。最良、というのも語弊がありましたね。誰も消えない、と言う意味では最良ですが、ある意味では最悪と言われても仕方ありませんね」
貴音は水を飲み、一息ついて続ける。
貴音「しかしこれも可能性の一つです。奇跡なんて、いつどこで起こるか分かりません。これ自体、考え過ぎと笑える未来が来るかもしれません。そういう未来が、来て欲しいものですけどね」
P「神のみぞ知る、か……。ありがとう、俺達のために、色々考えてくれて」
貴音「感謝されることでもありません。むしろ、恨まれて当然だと思っていました。わたくしがなんとかするなんてこと言っておいて、結局は神頼みになってしまうんですから。神はサイコロを振らないと言いますが、こういう時ぐらいは振って欲しいものですね」
P「俺達人間に任せてるんだよ。振り出しが出る目を出さなきゃいいんだ、少なくとも6分の1ぐらいで最良の未来が来ると思うがね」
貴音「そう言って頂けると、わたくしも気が楽になります。では、わたくしはリハに向かいます」
P「ああ、頑張ってラーメン食えよ?」
貴音はこちらに一礼して、局の外にでる。神はサイコロを振らない、か……。神の倫理に従わなきゃいけない道理が、どこにあるってんだ。
P「神はサイコロを振らない」【後編】